僕のHPやドナちゃんのHPをず〜っと見ている方なら、少しは事情を知っているかもしれませんね。
11月12日、ドナちゃんのお父さんが亡くなりました。
クモ膜下出血で倒れたのが2001年10月4日。約半年後、僕達の結婚式を控えていた頃でした。おとうさんはかなり重度のクモ膜下で、倒れたのが病院(交通事故で腕を骨折し、翌日に退院を控えてたときでした)で、たまたま、専門の先生が当直でいたので、緊急手術の末、命は取り留めました。しかし、危険な状態は1ヶ月くらい続きました。延期か中止か?いろいろ考えて、結局僕達は結婚式をすることにしました。当初、ビデオで記録をすることは予定していなかったのですが、急遽、記録することにしました。それはおとうさんの意識が戻ったとき、見せるためのものでした。僕達は意識が戻ると信じていました。病院からは「最長2年をひとつの区切りとして考えてほしい」と2年経って、意識が戻らなかったら、戻らないだろうということでした。しかし、大阪の例で3年過ぎて意識が戻り、5年後にはリハビリをするくらいまで回復したという事をネットのニュースで知りました。僕たちはそれを信じていました。

おとうさんの闘病生活は僕らにとっても大きな変化をもたらしていました。それは結婚しても、月に2回位、ドナちゃんが勝浦の実家へ手伝いで戻るという生活でした。ハタから見れば、ちょっと変わった結婚生活かもしれませんが、僕達にとっては自然の流れでした。ドナちゃんのいないときは冷凍保存した料理を解凍するだけで十分食べれる料理になるし、週末はちゃんと家にいるし、また、僕も普段の日はギリギリに帰って、食事して寝るだけの生活だから、そんな不自由は感じなかったのでしょうね。1年くらいはいつか、おとうさんが目覚めるまでと思い、時折伝え聞く「今日は、しゃべろうとしてた」とか「今日はすぐ、眼を閉じて寝たままになっちゃった」などの言葉に一喜一憂しながら過ごしていました。それが、2年近くなったとき、一体いつ奇跡が起きるんだろう?いつ目をさましてくれるんだろう?と不安と焦りを感じることもありました。
あれは9月だったかな。血圧が下がり、危篤状態に陥り、親戚の方は会っておいた方がいいという連絡を受けたのが。しかし、その後、安定し、週末僕らが病院に行ったときは顔色も普通に戻り、目を開けることはなかったですが、普段見ているおとうさんの姿でした。僕は勝手に「(まだおとうさんは)大丈夫だ。3年目にして意識を戻した例もあるんだ」と思い、望みを掛けていました。(もちろん、3年も5年も看ていく方は大変ですけどね。それはまた別の次元の話です)そして、10月、11月…。僕たち夫婦は普段の日は会社に、ビーズ作りに時間を費やし、週末はフリマへ行き、時折急になり出す電話のベルに緊張しながらも、日々を忙しく過ごして行きました。

その連絡を受けたのは意外にも夕方の忙しいさなかでした。ドナちゃんのお兄さんから、僕の携帯に連絡が入り、ドナちゃんの携帯が繋がらないということでした。ちょうどその時間は歯医者に向かう時間でおそらく電車で移動しているんじゃないかと思いました。僕はとにかく連絡を入れておかなきゃと思い、すぐさま、メールを打ちました。どこの世界に自分の親が亡くなったことをメールで知ることになるのだろうと思いながらも、速効で打ちました。実際にはお兄さんのお嫁さんからの電話で知ったらしいですが。。。
とにかくこのあと決まるであろうお通夜やお葬式に行く準備をしなければ。翌日、今進んでる仕事の引き継ぎを午前中で終わらせ、勝浦に向かいました。ドナちゃんは前日から電車を乗り継ぎ先に行ってました。

勝浦の家に着くとお葬式を告知する大きな看板が立っていました。そこにはおとうさんの名前が。。。。
それをみて初めてリアルに現実と受け止めはじめました。おとうさんの顔を見たときは、、、
息はしていませんでしたが、入院中時々、胆を詰まらせ苦しそうな顔をしていたのと比べると、安らかな顔をしてました。
僕からしてみれば普段(つまり2年間)見ていた姿なので、今ひとつ現実が飲み込めきれませんでした。

お葬式のやり方というのは地域によってかなり違うのが常でちなみにこの地域は亡くなった翌日は「仮通夜」その翌日が「火葬」。週を明けて「本通夜」、「本葬」となりました。


火葬の日は朝からすごく天気がよかった。空は雲ひとつない青空で、それも東京とは違う濃い青だった。火葬場に向かう途中、おとうさんが生前、毎日通っていた工務店の作業場、よく行っていたゴルフ場のそばを通って行った。そういえば、よくドナちゃんが話していたっけ。仕事中、ちょっと余裕があると抜け出してゴルフに出掛けていったって。ゴルフ場もクルマで5分くらいだから、ほとんど自分の庭のように使っていたんだろうなぁ。
そうそう、仮通夜の夜、そのゴルフ仲間にビックリするような人がお線香を挙げにきていた。なんと!僕が大好きな漫画家本宮ひろ志だ。本宮さん、今は勝浦に住んでいて、おとうさんとはゴルフ仲間だったらしい。近くに東急のゴルフ場があって、勝浦でゴルフをやっている人は大抵ここのゴルフ場を使うらしいです。


いよいよ火葬場に着いた。ドナちゃんは火葬場に来るのは初めてらしい。「焼かれる時、熱いのかな?」とドナちゃん。

「熱くないよ。」と僕。理由は説明しなかったが、熱いわけはなかった。もうおとうさんは解き放たれているんだ。全てから解放されているんだから、痛みも熱さも感じないところに行っているんだ。逆にもう、痛みや苦しみを味わせたくない。

しばらくして外に出て、空を見上げてみた。すると、火葬場の上から煙りが上がってきた。青い、真っ青な空にゆったりと、空へ昇っていく煙が、自由に軽やかに。
「あれがおとうさんかな?あっちの方向はゴルフ場があるんだよね。」とドナちゃん。


そうなんだ。僕らには見えないけど、おとうさんは解き放たれて今は自由にゴルフができるんだよ、それは別な世界かもしれないけれど。

青い空に吸い込まれていくおとうさんを見届けながら、僕はあることを思い出した。あの日も今日みたいに空が澄んでいた。そして人もたくさん集まっていた。
そう僕らの結婚式。
なんとなく、この空はあの日の空につながっているんじゃないかなって思った。僕らがいて、空からおとうさんが僕らを見届けてくれて。どこかで「これで僕らの結婚式が終わった」っていう気がした。

というのはこの日を境に僕たちの新しい生活が始まっていくんだ。ひとつ確実なのは少なくともドナちゃんはおとうさんの看病のために帰郷することはなくなっていく。
悲しいけど、仕方ない。
この「仕方ない」ということば、僕はおとうさんがなくなってから、何度となく、こころで思っていた。
倒れて、2年…。結局、最期まで、目をさます事がなかった。
無念…。でも、そこでとやかく言ってみても、仕方ない。そこから、また、始めなきゃならないんだ。
悲しいけど、そこから新たに出発しなきゃならないんだ。



ひとつの旅の終わり、そしてそれは新しい旅の始まり。

どんなときも、基本的にはポジティブに。

僕達はここから、スタートしていきます。