次に向かうのは昭和37年の噴火で出来たという三七山だ。 まだ出来て35年くらいしかたっていない山。どんなものかちょっと期待して
しまった。 …、しかしこの三宅島というのはなんでこうも登ったり降りたりする道が
続くのか…? これがハンパじゃないんだ。 ミニサイクルには一応、3段ギアが付いているのだが、それでもヒーヒー
言ってる。。 前に佐野元春のファンの仲間の話をしたが、彼らともしここに来たら どうなるかな? たまにハイキングに行ったりするWさんを除いて他のみんなからはブーイングの
嵐が来そうだ。。「スズキさ〜ん、カンベンしてくださいよ!」みたいな(笑) その前に、みんな自転車とか乗れるのかなぁ?特にカルディナ通勤のIくん。 あ、彼はテニスもスキーもやってたっていうから意外に大丈夫か。。。 そんなことを考えてないとやってられないくらいキツい坂が続いていった。 すると、いよいよ三七山が見えてくる。 と、思っていると、坂の合間に突然思いもよらない光景を目にした。
青々と続いている山の緑が突然岩で埋め付くされているのだ。 まさしく溶岩の流れたあとだった。山肌を50メートルくらいの幅で覆いつくし
それが見事に海まで続いている。とても30年前にあった出来事だとは思えない。
つい1週間くらい前に、まさに溶岩が吹き出て、山肌を埋め尽くし、道路を横切り、
民家を飲み込み、海まで流れ着いた、そんな感じだった。 海際300メートルくらいのところはおそらく何十軒と家が建っていたのだろう。 その場所は今も岩で覆い尽くされ、手付かずの状態になっている。そばには残骸と
なった自動車が錆びて、屑鉄と化して無造作に積みあげられている。
溶岩に覆い尽くされた山肌
僕はあまりに壮絶な光景に言葉を失ってしまった。 これが島の生活ということだ。こういったことも引っくるめて受け入れて
いかないとここでは生きていけないんだ、と思った。
とても観光気分じゃなかった。どこかの被災地を訪れている気分だった。
でもそれはこの旅の、すごく大きな収穫でもあった…。
◆ ◆ ◆
そんなことを考えながら、自転車を走らせていた。時計を見ると11時半。
間もなくお昼だ。昼ごはんはどこで食べようかな?その土地の食べ物を食べると
いうのも旅の楽しみのひとつである。…しかし、かなり疲れた。
出発してから約半分の地点にきている。戻れるものなら戻りたい気分だった。
しかし、半分きた。ってことは行っても半分、戻っても半分ということだ。。
キツい…。なんか修行しているみたいだ。多分、この話をしたら僕の友達は
来ないだろう(笑)
道路で自転車を止め、自販機でファンタグレープを飲んでいた僕をスイスイと
追い越す自転車があった。見るからにキャンプ装備のサイクリング車だった。
しかも女の子。。。女の子が一人?
ちょっとの疑問とちょっとの期待を持ちながら僕はまた自転車を走り出した…。