水曜の朝、午前三時 蓮見圭一著 新潮社刊
2004年くらいに買って、そのまま何度か読みかけては、忘れ、何度か読みかけては忘れ…という本でした。
この小説の中に「夫婦別姓を名乗る人々がいることが理解できない。女は結婚することで名前を変えて、もう一度生まれ変わることができるというのに」…的な言葉があって、今回、大切なお友達が結婚したときに、ふとその言葉を思い出して、つらつらと読み返したのでした。
物語を思いっきり単純に言うと、万博に沸いていた頃の大阪で、コンパニオンをやっていた直美さんの、同じ会場で働いていた臼井さんとの恋物語です。
Kanaは最初、波乱に満ちたラブストーリーといったキャッチで、読み始めたのですが、中盤になっても特に波乱もなく臼井さんへの想いだけで平凡に進む話に、ちょっと飽きまして、何度か忘れてしまっていたのですが…
本当の波乱万丈は、物語の後半2/3からでした。
相思相愛、直美さんは許婚との結婚をすて、臼井さんと真剣に付き合います。そして、2人の未来は安泰かというところで、物語は突然の障害に凍りつきます。
その障害をKanaさんだったら乗り越えられるのか?と問われると、…決して乗り越ええられないのではないかと、現代に生きるKanaでさえ思ってしまう高い山です。普段差別なんて無いと思っていても、当人たちが思っていたとしても、やはり、個人だけでは乗り越えられない差別がそこにはあり、その差別はやはり恐怖から来るのだという、直美さんのお母さんの言葉は、極論だなと思ったわけであります。
時代の雰囲気、ゆらりとした恋愛の熱気。そして怒涛の展開。人生。
そして、その人生を、病床で娘のためにテープに残して語った現在の直美さん。真にリアリティを問われると、疑問な部分もありますが、それでもやはり良質の物語です。決してラブストーリーという枠組みに囚われない、一人の女性の人生です。
水曜の朝、午前三時
蓮見圭一著 |