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過去のお散歩

スカイクロラ 2008/8/21 映画 ☆☆☆☆★

原作森博嗣×監督押井守のアニメーション映画。

完全な平和が実現した世界。平和を感じるために大人たちは、ショートしての戦争をしていた。国家にかわり、企業が代行して行う戦争というゲーム。その戦場に行くのは、大人ではなく、戦争で死なない限り死なない、永遠に年を取ることのない子供たち「キルドレ」だった。

物語は元エースパイロットの女性指揮官・草薙水素(クサナギスイト)の基地にパイロット・函南優一(カンナミユーイチ)が赴任してきた時点から始まる…。

はい、Kanaのこの映画の評価はとても、高いです。
今までの押井作品は、押井色が強く、物語も理解不能や、押し付けの強いものが多かったのですが、この作品は脚本に伊藤ちひろ(世界の中心で愛を叫ぶ等)を使っているだけあって、非常に見ているヒトに対して親切なつくりになっています。
途中で提示される謎には、それを解くための鍵をちりばめてくれていますし、イノセンスの時のように「テーマ」を途中で見失ったりもしていません。
今回の作品で監督は一貫して「毎日は生きるに値するか」ということを突き詰めていきます。
途中でカンナミが大人に向かって何気なく言う「明日死ぬかもしれない僕たちが大人になる意味なんてあるんですか?」という台詞。戦場に出るカンナミに「気をつけてね」と声をかける大人に「何に気をつけるんですか?」と言う台詞。どちらにも、感情も悪意もありません。ただ、問われたから答えているだけ、だから、逆にそこに彼らの生きることへの執着のなさを感じことができます。
そして、安易に不用意な発言をしてそれを言わせる大人の側も「キルドレ」に「命の価値」を感じていません。
逆にだからこそ、娼館の女たちの方が、肌が触れ合う分、彼らをヒトと感じられるのかもしれません。

出会ったクサナギとカンナミは惹かれあいますが…
物語の後半に明かされるのは、想像以上に重く酷い現実です。

その「永遠に毎日続く日常」を、どう打破するか…
その課題に対して、最後に二人はそれぞれの形で答えを出しています。

それは、映画を見ているヒトにとっては賛否両論かもしれません。
でもKanaはそのラストに希望を見ました。
替わらない日常の中でも…毎日同じ道を歩くとしても、少しのことでソレハ変えられると、カンナミは命を懸けて訴えていると思います。

全然全ての謎が解かれているわけではないので、映画の後で色々想像することが楽しい映画でもあります。
そして、映画を2回連続で見ると…恐ろしく、コレが永遠に続く毎日なのだと実感せずにはいられず、クサナギの心を垣間見ることができます。

Web上のレビューではあまり、高評価を得ていませんが、Kanaの中では、非常に心に残る映画であり。希望を持てる映画でありました。
声優ではなく、俳優を使った理由も分かる気がします。
見たことのない空中戦とうたい文句がありますが…その辺は、あまり…
(CGの限界がもう分からないので…。)

 

スカイクロラ 2008/8/21 以下ネタばれ編

映画を見たヒトだけ読んでください。以下反転で読めます。

Kana的には、クサナギの悲しさがつらかったのです。
牛は一度殺されて食べられたらそれで終わりですが、彼らは食べられても何度でもよみがえります。多分クローンのようにストックされているのではないかしらと、Kana勝手な解釈をしています。
イトオシイ男が死んでも、死んでも…記憶を失って同じ姿で同じパイロットとして戻ってくる…。そして、自分を知らない、彼を愛さずにはいられないクサナギのせつなさ。愛し合った記憶も、肌のぬくもりも、匂いも覚えているのに、相手にはそれが記憶としても経験としても一切ない。
それは、基地を守る、整備士の大人にとっても同じなのかもしれない。
女性整備士の憂いは彼らと深く接している思いによるもの。
ただ、深く彼らと接していない大人にとっての彼らは「替えの利く消耗品」でしかないし、深く接したとしてもどうせ死んで戻ってきた時には、すごした経験なんて消えているのだから、深く接しようともしないのが、多くの整備クルー達の態度ではないかしら(カンナミが戦場から帰ってこなかった時も待ちながらはしゃいでたのが、その程度の感覚なのかなって思ったり。)。

ミツヤミドリがクサナギに銃を向けるシーンの解釈は未だ謎だけど、それぞれがそれぞれの解釈を自分の中で持っていい映画ではないかと思われる。きっと、映画上ではティーチャーがクサナギの旦那で、ティーチャーのクローンがカンナミだと思うんだ。とか勝手に想像して言いと思う。

それにしても、アヴァロンの町並み、ジンロウ、オルゴール、犬、…魚眼レンズの心理描写、クサナギサンの表情が、攻殻のクサナギサンとかぶるあたり、物語全体もアヴァロンや、イノセンスの永遠の繰り返しを使っていたり押井作品の過去のオマージュてんこ盛りな感じでした。
…それ自身が繰り返しを強調しているのかもしれませんが…

いつか、謎が解ければいいなぁ…

 

オラファーエリアソン 2006/7/8 ギャラリー

え〜今回のosannpoは銀座の小柳ギャラリーで開催されていたオラファーエリアソンの新作展でありました。大変落ち着いていてステキな展示会になっていましたが、美術館とギャラリーの違いを端的に表しているK嬢からのメールをいただきましたので、今回はご本人の許可をいただきまして、全文紹介し、osannpo記事とさせていただきます。

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しんあいなるかなしへ。
こんばんわ、お元気ですか? 行って参りましたよ、銀座へ。
kana氏はいつも、私とは違うジャンルのアンテナを張っていらっしゃるので、 こういうお知らせはとても嬉しいです。 以下大っ変に長いので、お手すきの時に読まれると宜しいかと思います。

小柳ギャラリーはコンクリート打ちっぱなしの、こじんまりした空間でした。
入口を入ってすぐに、スプリング・パドル・シリーズという、 春の水溜りの写真を12枚並べた作品が飾ってありました。
受付の横に、ドデカヘドロン・ランプ、グリーンランド・ランプという作品がありました。 折り紙のくすだま(三角すいを鞠の形に組み込んで、房をたらしたもの)を両手いっ ぱいに大きくして、 薄く色のついたアルミ板で形を作り、ワイヤーで繋げて、真ん中に電球を一つ入れた 様なもの。。かな。 アルミの色が様々なので、万華鏡の様な影がコンクリートの壁に映っていてとても綺 麗でした。 あと、カメラオプスクラのカレイドスコープ、というのがありまして、 これはHPで女の人が覗き込んでいる長方体の箱です。 中は鏡張りになっていて、突き当たりに凸レンズがついていました。(回り込んで確認した私。。) 向かいのビル郡が延々と広がります。で、自分の首も延々と上下左右に浮かんで見え ます。 夜景だともっと印象が違うのかもしれません。 最初は楽しいのでが、ずっ〜と首を入れていると、妙に不安になりますね。
ランプがあんまり綺麗だったので、kana氏に見せたいな〜と思ったのですが、 やはり写真はNGとの事で、しんなりしながら、受付にあった非売品の本なぞをめくっ ていたのですが、 あ、説明書がある、と思ってラミネートされたA4の紙を手に取りましたら奥様っ。 (誰) お値段表でした。 たいへんたいへん、お部屋に飾りたいな〜なんて思ってたランプが、 \4,200,000 \4,900,000 しかも一つは売約済みだよ!(この青いシールはなんですかと聞いた私。。)
春の水溜り(incl.frame←どうでもいい) \7,350,000
落ち着いて!落ち着いて小人達! 早くバスケットの中に戻って!!!

長方体の箱 \10,500,000
みんな!席について! バナナはおやつに入りません!!

私が『近づくと暑苦しいレーダー三個と蛍光灯を組み合わせた緑紫の床置きオブジェ』と思っていた クアドルプル・サンクッカー・ランプは、売約済みで7桁でした。もういい。 ちなみに上記価格には全て消費税が含まれています。(本当にどうでもいい) ぜひkana氏にお話したくて、値段表のコピーとってもらいました(笑顔)。

暑い日が続きますが、お体にお気をつけてお過ごし下さい。 いずれまたお会いしましょう。 取り急ぎ感想なぞ。 かしこ

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すばらしい…パーフェクトな解説です。美術館とギャラリーの違い(作品が売り物ってこと)を端的に現してくれていますね。

個人的には一つ一つの作品を一部屋で見たかったカナと思ったのでありましたが、休日の午前中に行ったとはいえ、貸しきり状態で作品を鑑賞できたことはたいへんすばらしいけいけんになりました。

このosanpoの2005/12/5に原美術館でのオラファーエリアソン展の記事がありますのでよろしければ参考にしてくださいませ。

小柳ギャラリー

 

 

嫌われ松子の一生 2006/3/8 小説

嫌われ松子の一生 山田 宗樹(著)

2/3程度しか読み終わっていない部分での書評。

東京足立区日之出町のアパートで一人暮らしの女性(53)が他殺体で発見される。

という新聞記事で始まります。東京で一人暮らしをしていた笙は父親から、彼女が彼の叔母で、亡くなった彼女のアパートの片づけをして欲しいと頼まれ、その結果今まで一度も聞いたことのなかった叔母「松子」の人生を知ってゆくことになるのです。父が一度も話したことのない、家族をめちゃめちゃにした「松子」、殺される直前まで、ご近所様に煙たがられ「嫌われ松子」と呼ばれていた「松子」。親の希望通り国立大学を出て教師になった、当時のエリートであった松子が何故転落の人生を歩んだのか…

この物語は、笙が松子のことを知ってゆく過程と、松子が教師になってから、ある事件をきっかけに転落してゆく人生を、短い場面転換で交互に描き、シンクロさせつないでいきます。(その短い場面転換が、Kanaにとって丁度よく、いつも仕事帰りの20分ほどの電車の中で、一つの場面を読んで、考え、次の日の帰りまでに先を推理し、翌日読んで、全く予想外の展開になってゆく物語に驚き、というのを繰り返しています。)

最初読むのが苦痛なくらい、嫌な事ばかり、好きになれない人ばかり、なのに、読み勧めていくうちに、どんどんスピードは速くなり、徐々に、松子を理解してゆき、それは、最初松子の部屋の片付けに行くのすら疎んじていた笙が少しずつ松子を理解してゆくのと重なっているようで。、同時に、そのスピードは幸せになりたい、幸せになりたい、と不幸の中でもがきながらそれでも走り続ける松子のスピードのように、先へ、先へとペースをあげて行くのでした。…たとえ、最初に結果としての他殺がソコにあるとしても。

この話を読む人は2つのパターンがあるようで、チラリとレビュー(まだ読み終わってないので見たくないのです)をみたところ「松子の人生に同調する人(星5つとかの人)」と「松子の人生を笑う人(星ひとつとかの人)」に分かれているような気がします。冷静でいれば、そんなに不幸にならないと笑う人はたくさんいるでしょうけれども、Kanaが思うのはちょっとしたボタンの掛け違いなのだと。人は充分松子になりうると思います。信じている人に裏切られる辛さ、素直になれないことが、相手を不幸にする。愛情の裏返しで人を傷つける、疑う事が怖いから信じることに逃げる…本当にどこにでもあることばかり。

でもところどころで瞬間幸せをつかめる時があって、その時の彼女は光り輝いています。その瞬間があっという間に崩れ去っても幸せを求め駆け抜ける彼女は本当に美しいのです。ワタクシは本を読みながら松子と一緒に同じ視点で幸せになれる夢を見ています。

次回本を読み終わったらちゃんとした書評を書きますね。

 

 

西の魔女が死んだ 2006/2/13 小説

西の魔女が死んだ 梨木 香歩 (著)

書評でよく「登校拒否をしている少女が、彼女のおばあちゃんから勇気付けられる話。」とかかれていますが、本質は違うのではないかとKanaはなんとなく思うのです。

中学校に入ってから登校拒否になってしまったまいは 春から初夏にかけてのひと月あまりを田舎のおばあちゃんのうちで過ごします。イギリス人のおばあちゃんは「魔女」でまいは彼女から魔女修行として「毎日規則正しい生活をする」「自分のことは自分で決める」というルールのなかで生活をはじめます。毎朝鶏の卵で作るオムレツ、木に干すシーツ、ジャム作り、庭で取ったハーブに熱湯を注いでつくるハーブティ…様々な名前の草木。タイトルとは裏腹に魔法は一つも出てきませんが、その生活全部が魔法のようで。Kanaも田舎暮らしに夢をはせるのでした。

児童文学とのことで、確かに年頃の子供にはすごく影響力を与える物語だと思ワレマス。魔女であるおばあちゃんにまいが「死」について質問するくだりは誰もが子供の頃持っていた漠然とした不安への一つの回答だと思われます。いじめや登校拒否といったその世代で必ず壁になることへの思いや生きている瞬間の不安(親と自分のハザマとか)も共感できるのではないか感じました。

同時に大人の文学でもあって、まいの感覚はやはり子供らしい繊細さと不条理さがありますし。物語の中で決してそれら全てを解決させていないところや、全ての意味を通じさせていないところが、大人の文学かなと思われます。

タイトルからしておばあちゃんが死ぬのは明確です。、おばあちゃんが語っていた死と現実のおばあちゃんの死、「なんとなく」嫌いだったお隣さんの態度、独りよがりなまいの心…何が解決して何が解決しないかはあまり重要ではなく、「そんな生活を送った」ということが何より重要だったのではないかと思うのです。

ああ、一度だけおばあちゃんは魔法を使います。

そこでワタクシは涙とともに「ニヤリ」としてしまうのです。
手元に一冊置いていてもいい本だとKanaは思います。時々開きたい。たとえジャンルが児童文学だったとしても。

西の魔女が死んだ 梨木 香歩 (著

 

 

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 2006/1/13 小説

Kanaはリリーフランキーのことをあまり知らず、ベストセラーなうえに書評で「泣ける本」とか書かれていたので相当に敬遠していました。

何故買ってしまったかというと、それは純粋にバーゲン待ちの暇つぶし用だったのです。しかしKanaにとっては、この本は大当たりでした。

物語はリリーフランキーが自らと母親の半生を描いた私小説の体裁ですが、コレはきっと、自分を女手一つで育ててくれた母親への感謝の気持ちを込めたラブレターなのではないかと思います。

前半はオトンと別居してオカンと僕だけで、暮らす九州の筑豊での幼少期、時々オトンに会いに小倉に行く。
中盤は僕が東京に出てからの自堕落っぷり。地方から出てきた人が、東京に出ることで夢をかなえてしまったが如く、その先が見つからず、東京のよどみに埋没していく様は、痛いほどにわかる気がする。
そして、母親を東京に呼び一緒に暮らし始める後半…

リリーフランキーは小説家ではないので決して文章は複雑ではないしレベルも高くないけれども、その簡潔さが、余分な贅肉をはいだ文章がこの小説には丁度よいのです。そして文の構成が大変うまい。思いを書きなぐっているように見えて、その前後関係に絶妙な上手さがある。 各章の間に入る哲学めいた格言も(「五月にある人は言った」←で検索すると色々出てきます。それだけ読んだ人の心に残ったのでしょう)すこしひねた独特の感覚も。コレをタダの私小説で終わらせない力を持ちます。
内容には多く触れません。あちこちの書評にあるように「親子関係を考えるきっかけになった」とか軽率に書きたくもありません。ただ、純粋にコレは母への思いを綴ったものであり、限りなく個人的なものであるが故にもっとも普遍的で、誰しもが共感できる小説に仕上がった事は間違いありません。

Kana的には自身の母の出身が、リリーさんのオカンの出身と同じ北九州のほうなので、方言のニュアンスがダイレクトに伝わって感慨ひとしおでした。

最後に:一度読み終わった後で、題字と装丁の担当名を見るとこのハードカバーの本が尚イトオシクなります。カバーデザインはカバーが白字に赤文字、更に上下に金の縁が入っていて本体表紙は赤色ですごくきれい。きっと、(オカンへの)プレゼントの装丁をイメージしているのではないかと思われます。

最後に2:リリーがこの本を書いた理由の一つは、オカンが病室で読んでいた本に自分の本がなかったから、ちゃんとした本を一冊作りたかった…そんな思いもあるのではないかと勝手に想像しています。

「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」 リリー・フランキー (著)

ほぼ日での糸井重里との会談

 

 

オルファーエリアソン展 2005/12/7 原美術館〜2006/3/6 

コマチファクトリー(こまちまり作品ページ) エウスタキオ管(お気に入り?)のページで紹介されていたテートモダンに太陽を持ち込んだオルファーエリアソンの展示が品川の原美術館でやっています。
ワタクシはこまちまり(師匠)様のページのオルファーエリアソンの「太陽」をみて是非ともそれを見たいと思いましたが、場所がイギリスでは行きようがありません。

今回件の巨大な太陽こそありませんが、初期作品の「beauty」そして、2006年原美術館の屋上に設置公開予定のインスタレーションのドローイング等を見ることができるとのこと心弾ませて行って参りました。

感想

ありえない。というか、やられた、というか
原理は単純なのに、彼しか到達できない世界がソコには広がっています。

例えばKanaがもっとも衝撃を受けた作品は、リング状のプリズムを大中小3つ重ねて天井から吊るします 。それらは同じ基準点でゆっくりそれぞれ回転しています。 それに強い光を一直線に当てると、プリズムに当たった光は分解され回転する角度によって様々な色を発生させます、それは四角い部屋楕円のカラーのラインを引きます。そして3つのプリズムはそれぞれに干渉し合い、新しい色を発生させ、さらにその光同士が、また干渉し合って新しい色を生み、といった不思議な連鎖が繰り返されます。
Kanaはパソの仕事で光の仕組みを知っているので、プリズムを通った光が更に別のプリズムを通り色を変え、その光同士が今度は壁で重なり合う時新しい色を生みというプロセスが、 RGB(の加色混合)そのままで思わず「やられた」と心の中で叫びました。

そして今回の目玉(?)「beauty」
天井から細かい霧をカーテンのように降らせそこに光を当て虹を発生させる、ただそれだけのインスタレーション。

子供の頃庭の花にホースで水をやったことのある人なら誰でも太陽を背に水をまけばソコに虹が発生することを知っています。その当たり前の現象を利用しまるで炎のように虹を見せる手法に感動。

装置は簡単、でも他の人がやったらもはや真似事にしかならない。彼が見つけた世界で、彼だけが、そのロジックに添って新しい形を生み出し続けられる。そんな気がしたのです。

すごくワタクシゴトだけれども、それは例えば、フラッシュと言うソフトを知りモノを慣性で動かせると知ったKanaがただ、ひたすらそれだけを手を変え品をかえいじり続けて進化させているのとあまり変わりないような気もします(Kanaのサイトのあちこちで動く全てのものは基本的に一つの同じ公式で動いています)
人それぞれがもつ、その人だけのこだわりときわみ 。オラファーエリアソンは光にそれをみつけ、それを自分の表現方法昇華しのです。Kanaは彼の作品の凄さにもまして、その着眼点に感動したのです。ひょっとしたら、Kanaでさへ、発見できたかもしれない芸術。 でも結局発見できたのは彼で、ワタクシタチはただ、「ああ、こんな表現方法が」という事しかできないわけで。彼がいなければ、永遠にそれに気付く事すらなかったのでしょう。

そうなのです、Kanaは何よりこんな表現方法を「発見」した彼の凄さに感動させられるのです。そして、それをみて、ひょっとしたら、まだまだ世の中には見出されていない新たな視点があるのでは?!と探究心を掻き立てさせられる。その凄さが今回の展覧会にはあったのです。

オラファーエリアソンは、Kanaが初めて出会った、全く新しい芸術の形です。

最後に、入口を入って最初に、彼が、原美術館屋上に手がけるインスタレーションのドローイングがありました。それを見て考えてください。

彼は理系でしょうか文系でしょうか?

原美術館

 

 

 

ハチミツとクローバー 2005/10/4 漫画 羽海野チカ作 集英社 

美大の学生達の優しい恋物語。青春群像、といえばたかがそれだけのお話。
なのになんでこんなに笑えて、泣けるのでしょうか。

美大4年の竹本君。真山せんぱい。森田せんぱい。三人が学校で花本先生のメイ、天才芸術家で不思議ちゃんのはぐみちゃんに出合った所から物語はスタートします。

竹本君のはぐみちゃん(通称はぐちゃん 愛称:コロボックル)への純粋なコイゴコロ。恋というにはあまりにも遠いけれども、少しずつ少しずつ、友達になってゆく感じ。
気まぐれ天才芸術家肌の森田せんぱいと、はぐちゃんの互いの芸術感覚に惹かれあう心。
真山せんぱいとデザイン事務所の女性原田さんの関係。真山せんぱいに恋する陶芸科の山田さんの一途なコイゴコロ。

そして、原田さんと 花本先生の過去。

はじまりそうではじまらない恋。形になりそうでならない愛。
最初、先生の後ろばかり付いて歩いていたはぐチャンがみんなと出会い、関わる事で少しずつ人間的に強くなっていく姿。いつもふざけてばかりの森田せんぱいがふと口にする、鋭い正論。みんなそれぞれ弱さを持っていて、それでも必死で現実を生きている。

この物語には、たくさんの自分がいるように思えるのです。「ああ、自分もそう思ったことがある。」とか「恋してたときは確かにそんな行動をとった」とか。それぞれの人のそれぞれの立場の恋。それは誰しも経験した事のある、当たり前の風景。絵のタッチは軽いのに。話は何気ない日常がつらつらと続いているのに、そこにふと現れる言葉のなんて深いことでしょう。

美大をモチーフにしていますが、それぞれの人の作品等の具体的な表現はあまりされていません。その代わり、時折現れる誰かの言葉や風景に作者自身の美的センスを感じる事ができて、「雪の中に立つキリン」「月面のように輝く校舎の屋上」「観覧車のシルエット」「雨の終わる場所」。特に原田さんがいるシーンで効果的に使われる、霧のような雨のシーンはセツナクテ美しくて。
Kanaはこの漫画でたくさん泣きました。何に泣いたんだろう。優しさとかセツナさとか。戻ってこない若い頃か、自分が経験できなかった、ステキな友人に囲まれた学生時代か。 …多分もっとシンプルで深い部分。人の思いの本質に打ちのめされるのだと思います。

「あの日帰って来て俺に言うんだ、しょんぼりしてさ…
ちっとも楽しくなかった、ずっと早く帰りたくって、トイレにも行きたいっていえなくて、目の前だと飯も食えなかったって、だからいやだって

………ばかだなそんなの、好きだからにきまってるじゃないか…」

「彼女が僕の前では自由にしていてくれるのが嬉しかった。
目の前でプリンをほおばる姿が
とてもいとおしかった

いっしょにいると胸が詰まって
モノをのみこむのも苦しいような…
そんな気持ちを恋というのなら

ほんとにオレばっかり恋してたんだな。」

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一方この漫画は笑いの部分でも優れていまして、シリアス→泣かせる→強制的に笑わせる。という怒涛の攻撃をしてきます。コレも作者のセンスだと思うけれども、美大らしく38色のツイスターゲームを男ふたりでやって骨が折れていくとか、屋上で巴投げして校舎から落ちるとか、さびしい恋→お酒を飲む→酔っ払って大暴れ等、きわめてべたな笑いも満載で、

Kanaが今年読んだ漫画というか、コレまでに読んだ漫画の中では限りなく1等賞だと思います。巻を追っていっても、決してなかなか進まない恋であっても、中だるみしません。それはたぶん、それぞれの時間を彼らが生きているからではないでしょうか。卒業制作に没頭する時間や、自分の進路に悩む時間、そのようなものが恋と同等に描かれ、現実的ではない世界ではあるけれども、そこに彼らの思いを感じる事ができます。

今年からアニメ化もされているようなので是非是非一度読んでもらいたいと思います。。巻を追うごとに大人びた顔つきになってゆく、彼ら。特にふだんコロボックルキャラなのに時折見せるシリアスな顔つきのはぐちゃんにめっちゃラブ(?)してください。

ハチミツとクローバー

 

 

『MISATO V20 スタジアム伝説〜最終章〜 NO SIDE』
 2005/08/06

渡辺美里の20周年記念にして最後の西武ドームコンサートに行ってきました。
あまりにもすばらしいのでその感想を…と思ったのですが、 まずオフィシャルサイトから、演奏された曲一覧を拾ってまいりましたのでそれを見て、まぁこんなに歌ったの?!と驚いてやってくださいませ。

  〜オープニング〜 

M-01 GROWIN' UP
M-02 すき 
M-03 BELIEVE 
M-04 素顔 
M-05 いつか きっと
 
M-06 V20ウルトラメドレー※(以下の20曲はメドレー形式で歌っています)
1 I'm Free 
2 18才のライブ 
3 Long night 
4 Teenage Walk 
5 It's Tough 
6 やるじゃん女の子 
7 ジャングルチャイルド 
8 ムーンライト ダンス 
9 泣いちゃいそうだよ 
10 Boys Kiss Girls 
11 シャララ 
12 SHOUT 
13 世界で一番 遠い場所 
14 夏の歌 
15 熱いふたり 
16 ラブ ゴーゴー!! 
17 太陽は知っている 
18 夏灼きたまご 
19 ドラえもんのうた 
20 Orange 〜What's the vibe?〜 
21 蝶のように 花のように 

M-07 青空 
M-08 夏が来た! 
M-09 きみに会えて 
M-10 サンキュ 
M-11 My Revolution 
M-12 センチメンタル カンガルー 
M-13 パイナップルロマンス 
M-14 チェリーが3つ並ばない 
M-15 サマータイム ブルース 
M-16 恋したっていいじゃない 
M-17 スピリッツ 
M-18 恋するパンクス 
M-19 JUMP 
M-20 10 years 
M-21 My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
アンコール曲 夏が来た!
 


オープニングで19発の花火!!そして20発目の花火の換わりに気球に乗った美里が登場します「20年目の夏へようこそ」と叫んでいたような気がします。そして気球でスタジアムを一周しながら GROWIN' UPを歌い39000のも人を集めたコンサートがスタートしました。 (…と書くと壮大だけどあくまでドーム球場の中でのお話) 。 会場を二分する花道には1986から2005までの20の数字が並んでいて美里の歩んできた道のりをイメージしているのだと思ます。その上を縦横無尽に駆け回って歌を歌う渡辺美里は、彼女を応援する4万近い観衆の力を受け、それを倍返しする位のエネルギーを放ちます。読売か何かのサイトに書いていたけれども、こんな大きな会場でともすれば、歌手が希薄になりそうな熱気の中で明らかに渡辺美里は一番強力なオーラを放っていました。
途中でほとんどトークも休憩も挟まずに、これでもかって位歌を歌い続ける美里。この曲の数に、これ以上ないであろうベストオブベストな選曲に、彼女の最後のコンサートにかける意気込み、想いを感じる事ができます。正に集大成。

途中、ビデオレターでゴジラ松井、徳光さん、そしてDonDokoDonの山口智克が中国から花火の音真似をしていました。…とかいっていたら、途中で謎の西城秀樹もどきが乱入。美里の「恋いしたっていいじゃない」の「D・A・T・E」のフレーズに対抗して「Y・M・C・A」と歌うのです。よくみたらぐっさん…あんたさっきビデオレターで中国からって。
そんな訳で大江千里までも件の気球に乗って登場した訳ですが、ゲストとのトークはほぼなく、大江千里さんの演奏で美里の代名詞「10years」を歌い(大江千里作曲)、昔、雨でコンサート最中に中止になった(昔はドームではなかったから)時に作った名曲「JUMP」も歌い、アンコールにもう一度「夏が来た!」を歌い「まだ夏は終わらない」と叫んでコンサートは終了したのでありました。最後の曲で涙に声を詰まらせることはありましたが、これだけ歌って声が枯れない(というよりますます冴え渡る)、その声量は会場の外まで響き渡る、コレがアイドルなどではない本物の歌手なのだと。その歌手の全力を一身に浴びてKanaは改めて渡辺美里のすごさを実感したのでした。

あれから一週間が過ぎましたが、今でもワタクシの頭の中では美里が歌っています。ずっと、いろんな美里の曲がアタマを駆け巡ります。そんな、コンサートだったのです。

渡辺美里オフィシャルサイト
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/misato/index_pc.html

 

 

巷説百物語 京極夏彦 2005/7/20 小説

以前京極夏彦の代表作「姑獲鳥の夏」からはじまる「京極堂」のシリーズを紹介したのですが、今回紹介するのは、同じく彼の代表作で「京極堂」の対を行くと思われる「巷説百物語」であります。

まず「京極堂」の方の話をすると(以下の文章は2002年のお散歩から持ってきました)、
講談社文庫から出ている京極堂シリーズ、は大正から昭和初期〜中期をベースにした推理小説(?)であり、古書店の主人京極堂と、作家の関口君が、奇怪な事件に巻き込まれそれを解決(とわ言わないかも)していくものである。と書くと、ただの推理もののようであるが、コレが他の小説と一線を画するのは「妖怪もの」である事である。それぞれの話は何らかの怪(ayakasi)に例えられる、そして事件は不可解でおぞましくもある。だが、決してそれらは妖怪の仕業でもオカルトでもない。全ては何らかの柵や業や念に囚われた人が起こすものである。古本屋の主人で陰陽師でもある主人公はそれらを、落とし(憑き物落しの落とし)払っていく。その結果がいつも幸せに終わる訳ではない。ソコに柵(sigarami)に憑かれた人間の悲しさがある。

というお話でありまして、 第一作の「姑獲鳥の夏」は映画でただ今上映中であります。ただ、この京極堂シリーズは1冊1冊が超長編で更にシリーズものと言う大変読者泣かせな大作でありましす。途中から読んでも登場人物が入り混じっていて詳細を理解できず、また、妖しは読者をだます為に使われている感じもあり、さらに決して手放しにハッピーエンドにならない、難しいシリーズでもあります。

そんな初心者にはちょっと辛い京極堂シリーズの対を行くとKanaが勝手に断言するのが「巷説百物語」です。
物語は江戸末期、全国の怪談・奇談を集めた百物語を書くために旅する山岡百介は様々な怪異に出会います。生き返る死体、狸たちの戦争、柳の呪い、
しかしその裏には人間の業があり、そして更にその裏には妖怪の仕業に見せかけて、よしなしごとを解決する御行又市とその仲間達の活躍があったのです。

京極堂が怪異に踊らされる人々に「世の中には不思議なことはない」と断言して怪異のシステムを紐解いてくことの丁度正反対であるかのように。
御行又市は巷に聞こえる様々な怪異を利用し、その怪異を現実のものとし、平民には太刀打ちできない巨大な悪を討ち滅ぼしたり、人の仕業ではない事にして物事をキレイに丸く収めてしまったり。

それぞれがやはり妖怪の名を掲げたタイトルになっていてそれになぞらえた事件がおき百介もそれに巻き込まれたりするのですが(何しろ妖怪博士が主人公なので解説はばっちり)毎回表の解決(事件に巻き込まれた人を救う為の真実)とその裏にある真の解決(あとで百介だけが知りえる、又市たちの策)があって、人の業を痛感するのでありました。
人の裏の話ばかりなので、残忍な人殺しや、恐ろしい犯人がこれでもかと出てきて、江戸時代は恐ろしいのかと思いもしますが、よく考えれば、現代も猟奇殺人ばったばったで、飽和した時代と言うのはそういうものを生み出すのかしら、とか妖怪よりも人のほうがよほど恐ろしいと言う事を思い知らされるのでありました。

それぞれが短編で大変読みやすいです。なによりも、妖怪の説明が先行して物語のわかりにくい京極堂シリーズの間逆であるかのような小説としてのクォリティーの高さ。妖怪をモチーフにした見事な小説です。見事な文章力6時間ぶっ通しいで読みかじりました。

京極夏彦と言う人はこの民俗学の膨大な知識を持ちその上で独自の解釈をする。そのロジックをそのまま小説に落とし込みまるでパズルのように話を組み立ててゆく。
実は巷説百物語はそのまま、京極堂シリーズや「嗤う伊右衛門」とリンクしているのです。 巷説は江戸時代末期と明治時代の話、京極堂は昭和中期の話…ああ、そうか、そういうことなのか(百介風)時代とは名前ごとに区切れているのもではないのだ。時代は区切れてもその時代の中で生きている人にとっては、それは一つの流れでしかないのだ。そんなことを後で思い知らせてくれる巷説百物語

絶対一度読んでおくべきかと思います。巷説百物語は百介と又市を第三者的視点から描き、続巷説百物語は百介の視点から又市たちの活躍を見ることによって、より、近くから彼らを見ている感覚になります。そして、後巷説百物語は、時代が明治になって…。この後はご自分でご確認ください。(実はまだ文庫化されていないので、Kanaは心待ちにしているのです。)

 

 

 

プルートゥ 第一巻 2004/10/3 漫画

手塚治虫の代表作、鉄腕アトムの「地上最大のロボット」という話を、かの浦沢直樹が全く別の視点から斬り込んだ漫画「プルートゥ」の第一巻が10月に発売されました。
手塚治虫は言わずと知れた漫画の神様ですが、浦沢直樹とは誰でしょうか?

浦沢直樹は柔道漫画「YAWARA」や(オリンピックで金メダルとった田村亮子選手の愛称「ヤワラちゃん 」はこの漫画がベースです)、考古学者で保険のオプで大学教授の冒険譚(?)「マスターキートン」、最近深夜アニメでやっている「MONSTER」(サイコサスペンスのはしりだと思う…そのくらい始まりは古い)、など描いた、出した漫画が全て名作と呼ばれる、スゴイ人です。(描いているものほぼ全て10巻を越える長期連載をしているところがすごい)。とくにスポーツモノとサスペンスものの2つを描いていますが、ともに、詳細な設定と、練りこまれたストーリーが、連載時から読者をひきつけてやみません。

「プルートゥ」は鉄腕アトム「地上最大のロボット」に出てきたアトムの最大のライバルの名前です。物語は近未来、2つの殺人事件が物語の幕開けです。誰からも愛される世界的に有名な山岳案内ロボット「モンブラン」が破壊され、もう一人、世界的に有名な「ロボット愛護協会」の人間が殺される。そしてその二つの猟奇殺人事件を追う刑事は夢を見るロボットで…。世界中で最高の機能を持つロボット達が破壊されてゆく、その背後には何か恐ろしい事実がある。ページをめくるたびに驚愕とドキドキが襲うのは、小説にも、映画にもアニメにもできない、漫画だけの特性です。サスペンスと漫画が好きな人は、是非ご一読を、原作を知れなくても、知らないなら知らないほうがいい。そんなすばらしい漫画です。

さて「プルートゥ」の単行本に話を戻しますと、この漫画第一巻には通常版と特別版があり、特別版の方2冊組みで、手塚治虫の「地上最強のロボット」も同時に入っています。是非ともコレをかって読んでいただきたいと思います。

Kanaは、当時手塚治虫の原作を読んで何十年ぶりかにこの浦沢直樹の漫画を読める人は幸せだと思います。彼は手塚が伝えたかったメッセージを「現在の問題」に改めて当てはめ直しているからです。戦争、人権、差別、猟奇殺人。そしてサスペンス。それを当時の漫画のキャラクターが同じシチュエーションで新しい視点から突き詰めなおしてゆくのです。手塚のキャラクターを、浦沢がどう描くかだけでもドキドキします。

Kanaは一巻目のノース2号に涙です。Kana★5つです(映画じゃないけど)。

 

 

ディープ・ブルー 2004/10/3 映画 ★★★★

イギリスBBCが作った海洋生物の生態に迫ったドキュメンタリー映画…

という表現が正しいのかどうか。世界中の海で行われている生物達の喰う食われるのドラマをあらゆる角度から迫力ある映像で迫った、超一級のアクション映画なのかもしれない。決してCGでは作り出せない壮絶な世界を膨大な時間とカメラを使ってドラマチックに撮りきっている。7000時間の撮影と聞いた。

オープニングからすばらしい。美しい海の映像、イルカの群れ、恐ろしい数のアジの群れのダンスから、それを目掛けて空からミサイルのように海に突っ込んでゆくおびただしい海鳥、その側を大きな口を開けてアジを追い回すイルカや鮫(鮫と海鳥とアジの群れが一つのカメラの中に納まっていることがすごい)そして、それらを一網打尽にするが如く海のソコから海面に向かって一気に口を開いてアジを食べつくす巨大な鯨、それらの映像を海中から海面から上空から俯瞰し、生と死がそれだけでドラマになる事を思い知らされるオープニングなのである。また音楽がベルリンフィルのオーケストラで、神々しさや緊迫感を十二分に発揮しているのです。

現れるシーンは北極から南極。さんご礁の浅瀬から深海まで、美しさ残酷さそして、逃げたくなるほどの海の怖さ、ありとあらゆるものを伝えてくれる。
子供づれが見に来ていたけど、子供には少々残酷に写るかも知れないし、本当に怖いと思うような気がする。それだけ生きることが大変な世界を描いているのだ。

映画の後でムスメがアザラシの赤ちゃんをシャチが襲うシーンで涙が出た、と言っていたが、この映画は「襲う側」「襲われる側」「こんなトコでも生きてる」「すごい生態」とそんなものばかりで構成されている。生きることや命を考えさせるすばらしい教材だとも思う。

ムスメの感想
「ワタシが魚だったら真っ先に食べられるわね。人間でよかった。」
kana「…(そ、そう来たか)。」

ただ、制作がBBCだったので最後にシロナガスクジラの生態を映し出して乱獲を批判していた、それは気になったけれども、是非とも映画館で見る価値のある、ドラマのない真の海のドラマの映画だと思います。

ディープ・ブルー

 

 

 

CODE46 2004/9/21 映画 ★と半分

設定がフランスの漫画のような気がしたのでフランス映画かと思いきやイギリス映画でした
。環境汚染が進んで荒廃した世界、選ばれた人は都市(内)でそれ以外の人は外で暮らす近未来。都市間の往来や都市から外に出入りする為にはパペル(通行許可証)が必要。都市の法規は絶対。破ったものは外に追放、という閉じられた社会。ソコにはいくつもの法規(CODE)があってその46番目のCODEは同じ核遺伝子を持つものは同一の血縁とみなされ(体外受精、人工授精クローン技術にかんしても)同じ遺伝子間の生殖はいかなる場合も避けるもの。

話はパペルが不当に発行されているとして、調査官がイギリスから上海にやってくることからはじまります。調査官は共鳴ウイルスという会話から相手の全てを知る事のできるウイルスを持っていて、パペル発行会社で不正をしているマリアの嘘をいち早く見破るが2人は恋にオチてしまう(調査官には幸せな家庭も子供もいる)。ふたりの行き場のない恋はどのような形に終結してゆくのかしらという映画。

こんな未来SFなのにこれはラブロマンスに終わっている。設定は細かいのに物語上破綻ているところや、物語自身も行き場を失っている閉塞感を感じる。タイトルのCODE46がちっとも前面に押し出されてこない。いくらでも面白くできる話を設定という大風呂敷を敷いただけでいくらも料理していない。考えさせられる部分はあるのに、イマイチ納得できない。

Kanaはとてももったいない映画だと思います。でもこの映画のヒロイン、マリア役のサマンサ=モートンはとてもチャーミングでその真っ直ぐな瞳にクラクラします。このヒロインを見れたのでKanaはこの映画少し満足かも。

彼女が最後の辺で電話をかけるシーンがあって、ココがこの映画の核となる部分です。この彼女の電話の意味をどうとるのか、その回答を映画は何一つしてくれないのですが、それが映画の方向全てを決定付けるのだとKanaは思います。もしこの映画を見た方がいたら、最後の電話の解釈をこっそりKanaに教えてください。

不幸になると最初に分かっていたら、人はその道をあるくのかしら?という映画でした。あるいみSFですね。

CODE46 http://www.code46.net/

 

 

ニューデザインパラダイス 2004/7/13 TV

木曜日の深夜0時20分フジテレビで放映されているKanaがもっとも興味ある番組が「ニューデザインパラダイス」

この番組は身の回りの商品を新たな視点からリ・デザインする、という画期的な番組で毎回多くのデザイナーの発想やセンスを見れて本当に感動するのです。
デザインしなおす製品は傘だったり、蚊取り線香だったり、線香花火だったり、ポケットティッシュから、タクシーの行灯(上の飾り)、将棋 まで、様々なもので、デザインの余地のあるものから、完成された形のものまで、類を問わないところに驚きを感じます。
30分番組ですが、前半はその日扱う製品の歴史や概要、現在の普及の仕方など、後半にデザイナーの紹介。ココまで来ると話は早くデザイナーにデザインしなおす事のコンセプトや方向を語っていただき(ゴールデンの番組のようになが〜い前置きも何もなく)いきなり12日たって新しい製品を解説していただいて、納得したり、Kanaのほうがいいデザイン考えたぜって言ったりしながら番組を楽しめる訳で。

料理の鉄人の時もそうだったけど、スポンサーが日産の番組はなんだか面白いなと思うのです。番組の中でスポンサー名を番組の前後に入れなくてはならないのですが、その入れ方も秀逸でそれを見るために一度この番組を見てもらいたいなとKanaは思うのです。

ニューデザインパラダイス http://www.fujitv.co.jp/b_hp/newdesign/

 

 

サルヂエ 2004/7/13 TV

日本テレビで月曜日の午後11時40分くらいからやっている「なぞなぞ」番組。司会はサル君(藤井隆)とサルさん(岡田真澄)…この2人が「サルの惑星」張りの特殊メイクでサルになっています。この2人が4人のゲストにナゾナゾを出題し買ったヒトからくつろぎルームにいけるというもの。競争をあおりつつも、特に一番がどうとか、トップ賞がどうとか、そういうのがないのがよい感じ(トップ賞…サルノコシカケだったような)。

ナゾナゾの例
「2千万円のワインがあることをしたら2万円になってしまいました。さてなぜ?」

こんな問題に一般人100人の正解率をつけているので、自分のレベルも知れてくるというもの。ヒントをサルさんが言うたびにこの100人の正解率も上がってくるわけで、

ヒント
「あるものを抜いたからです。」

そんなわけで、クイズ番組や薀蓄番組の数多い中、子供の頃遊んだナゾナゾを番組にしていることのなんて新鮮な事。子供の頃ナゾナゾ王の異名をとったこのKanaもじっくりマッタリ楽しんでいます。むかし、聞いたことある、解いたことあるナゾナゾが、この年になって全く解けない頭の固くなった自分に愕然とするのです。

サルヂエ http://www.ctv.co.jp/saru/

答え
「センを抜いたから(千を抜いたから…2千万が2万に)」
こんな問題が毎回5問くらい出題されます。

 

 

きらきらアフロ 2004/7/13 TV

テレビ東京で月曜日の午前0時くらいからやっている鶴瓶師匠とオセロ松島さんのトーク番組。上のサルヂエを見終わった後そのまま突入しています。

最初。、まったく、面白くなかったのですが、見慣れてくるとどうにも抜けられない面白さがあります。上手く説明できないのですが、全く台本のないトーク。暴走する松島さんと、それを軌道修正する鶴瓶師匠のからみ。井戸端会議の如く行ったり来たりする話題。…行って戻ってくる話題もあれば、行ったきり戻ってこないものもあり、そういうときのもどかしさがたまりません。また、10分くらい前にして、途中でみんな忘れた頃におもむろに戻ってくる時もたまりません。この「つくられてなさ」が最初面白くなくて、慣れると「旨み」に変わってきたモノだとオモワレマス。
あと、すごいなと思うのは途中ほとんどカットしていないように見受けられるところ。CM前と後で会話を5秒くらい重ねているところが、CM部分でカットしていないなと思わされてスキです。実際トークの撮影は40分くらいで番組が30分なので素の番組だなぁと思わされるのです。

この番組を見ると松嶋さんの飛びっぷり…ぶっ飛びっぷりがよ〜くよ〜く分かります。師匠の良識や常識も。その上で

松嶋さんむっちゃかわいいです(たとへコンビニの傘は当然持っていくとしても…この人の常識はスゴスギ)。 松嶋さんワタクシの中で旬です。ちなみに「きらきらアフロ」ってタイトル「きらきら」が松島さんで「アフロ」が鶴瓶師匠なのかしら?

きらきらアフロ http://www.tv-osaka.co.jp/ip/kirakiraafro/

 

 

東京エスムジカ 2004/6/29 音楽

石垣島出身の平得美帆、在日韓国3世の李瑛愛のツインボーカルと早川大地の楽曲、ワールドミュージックと島歌と、そんなものが入り混じった、熱くて切ない旋律です。

遠い叫びが 波にのまれ 夜毎 眠りの森へ迷い込む 君は誰の痛み想い 今日も強く その手広げ舞う…」歌詞カードを読んで、いいなぁ深いなぁ、と思い。どげなバラードかしら、林檎様みたいなカンジかしら?それとも鬼束のような…期待に胸膨らませてアルバム「月凪」をかけると、 ラテンでした。

歌詞よりもつよい旋律と歌声。なのにとても繊細で。いつの間にやら癖になる味わい。なんだかココロが強くなる気持ち。

詩情にも懐かしいような異端のようなセンスを感じて 、
「車が送り火のようで」(タイトル:雨音がさよならのメロディを)、
「いつかくれた言葉くらい 優しい気持ち 届くように探すけれど まだ途中」(綺羅) 、
「空の高さにおそれを抱いて 羽を落とした鳥のように」(ケモノ)

いいなぁ、こんな言葉。ヒトにお手紙を書きながら聴く曲にびったりな感じです(?)。最近奥様情報番組でも特集されたりしていたので、機会があったら聴いてみてくださいな。

東京エスムジカ http://www.fourtyfour.net/blog2/

 

 

下妻物語 2004/6/22 映画 ★★★

随分昔にお友達に原作を紹介された事があって、原作を読まずして映画を見てしまいましたが、嶽本野ばら原作、深田恭子、土屋あんな、主演のロリータとヤンキーの映画です。Kana的に言えば、ヒーローものですね。孤独な主人公、現れる友人、はぐくまれる友情、そして強大な悪の出現。覚醒する主人公は友と協力して悪を討ち滅ぼし、平和がおとづれる。…ちょっとちがう。

ロリータ服大好きの桃子。でも、彼女が住んでいるのは、大好きな服を売っている代官山からは程遠い(電車で片道2時間半)茨城の下妻、彼女が大好きなBABY, THE STARS SHINE BRIGHT の服を買いたくて資金繰りにバッタ物のブランド品を売りますって広告を出したら、やってきたのはヤンキーだったりした。そのヤンキーのイチゴに出合って、かみ合わないながらも小さな出来事を重ね、いつしか友情を育んでゆく2人の物語…言ってしまえばそれだけの話(桃子風)

話の作り方もお笑いを前面に持ってきていて、アニメをつかったり(○○ガールズ風)、ドキュメンタリー風画像を流したりと、かつては斬新だったけど、なんかいまだとちょっと古いかなというカンジがまた田舎くささを出しているのだと思うのだけど。

でも芯は強い映画なのです。見終わった後のなんだか安堵感。女の子には是非とも見て欲しい映画なのです。苦手だった深田恭子が随分好きになりました。映画の中の服がロリータかヤンキーかしかないので、なんだか慣れてしまいました。

それでも、ロリータ服はかわゆい子が着るからこそかわいいのだということを見せ付けられたような気もします。この映画は是非とも東京は渋谷のパルコパート3で見ていただきたいと思います。

下妻物語

 

 

ビッグフィッシュ 2004/6/2 映画 ★★★★

ティムバートン監督作品。Kanaはクライマックス直前号泣していました。恥ずかしかった。というわけでKanaの評価は高いわけです。

父と子の邂逅と和解の物語…というと大げさなのかしら。物語は自分の若かった時のことを御伽噺にして語る父とそれを大人になってしまってから理解できなくなってしまった息子。溝をもち遠い場所で暮らす2人だけれども、父の死期が近づき実家に戻った時、息子は父の若かった頃の御伽噺を思い出し、その荒唐無稽な御伽噺に隠された真実を知るという物語。

ティムバートン監督だけに父が若い頃のことを御伽噺にして語るその昔の風景が凝りに凝っていてなかなかステキでした。(くどいのだけどそのくどさが夢物語をいっそう引き立てるのです。)また、べたべたなジョークの数々。父の語る若かりし頃の御伽噺の面白さは(兵役を短く済ませるために為特殊任務で中国の秘密の地図を手に入れるとか、一目ぼれしたヒトの情報を得るためにサーカスで働くとか。)映像がなくても楽しめる感じで

途中で現実と逸話がアンマリにもごっちゃになって妙に間延びはするのですが、父の死期が近づき物語がクライマックスになってゆくにつれその御伽噺の向こうにある真実がちらりほらりと姿を現し始めるのです。子供の頃あんまり家にいなかった父。その子供の不安を取り除く為にした(のだと思う)父の御伽噺。その父の御伽噺が最期に子供に受け渡される時、なんだか推理小説の糸がつながるどきどきと、父と子が共同作業をしているような嬉しさと、死に向かう別れの悲しさといろんなものが一緒こたになって押し寄せてくるのです。

前半の暗い森の小道を歩くあたりまで心の中で前作の「スリーピーホロー」のイメージがまとわりついていましたが、途中からもう完全にそんなことを忘れて物語に入っていけました。良質の映画だと思います。是非とも一度ご覧くださいな。タイトルが全てを表している映画だと思います。

ビッグフィッシュ

 

 

イノセンス 2004/5/17 映画 ★なし

言わずと知れた士郎正宗原作のアニメ映画である。アレだけジブリが前面に出て広告を打つのだからその認知度は高いと思われる。
しかし、その内容はKana的には許しがたいものであった。どんな映画にも何かしら良いところはあるのだと思うのだが、 先週のお散歩でも書いた同じ士郎正宗原作の「アップルシード」がすごく良かったこともあり、この映画のよさはどこにも発見できなかった。

理由1
前作「攻殻機動隊」を見ていないと話についていけない。イノセンスは続編ものであるが前作のあらすじ等一切説明がない上に「電脳」「ゴースト」という独自の世界設定や用語を(前作でしたこともあり)今回一度も説明していない。

理由2
映画のストーリーに魅力がない。ちっとも複雑でもないし、そのくせよく分からない。感情を出すための「間」のとり方が下手くそ。…舞台のように場面場面があるのにそのつながりがない。主人公の住む世界が箱庭のようである。…テーマが人形だけに人形劇をイメージしたのかもしれないけれども。…おもしろくわない

理由3
効果(エフェクト)かけすぎです。ざらつき感や光の効果等が多いいのは3Dとアニメーションの混在する画面をなじませる為だと思うのですが。過ぎたるは尚うんたらです。

理由4
引用が多すぎ。聖書や哲学からの引用や含みを持たせた比喩が多すぎるのです。なんだか「エヴァ」のようで「あざとさ」を感じるのです。原作でも多くの引用や造語がありましたが、それはオリジナルの武器の設定や世界観の設定と同義のものであり同時に一つ一つ欄外に「解説」がありました。映画で何の説明もなく ただ、難しい言葉を「コレでもか」と並べるあたりに馬鹿馬鹿しさを感じるのです。しかも決して深くない。

Kanaがお気に入りのものを書くこのページで何故こんなものを取り上げるかというと。
何でこの作品がカンヌかどこかの映画祭で取り上げられてアップルシードはアンマリ話題になっていないか(ソレは広告の打ち方がちがうから、マトリックスが流行ったから)非常に納得いかなかったからです。
この映画がテアトル新宿のような単館映画だったら、なんの文句も言いません。ただの続編として見ると思うのですが、これだけ宣伝して期待させて(していなかったけれども)全国上映でこんな独りよがりの映画では「次が作れないだろう」という不安です。
要約するとこの欄でKanaがストーリー解説してもほとんどのヒトは意味が理解できないだろうなと。そんな映画です。ああ辛口。
映画が終わったあとみんな無言になっていました。アップルシードの「口々にいい映画だよね」とは好対照で、ある意味寂しかったです(涙)。

 

 

アップルシード 2004/5/14 映画 ★★★★

士郎正宗原作(攻殻機動隊・イノセンスの原作者)の原点ともいえる漫画が、恐ろしくクオリティーの高い3Dデジタルアニメーション映画になりました。 しばらく前から 「トゥーンシェイダー」という技法がよく言われていますが(3Dの影を単純化して輪郭線をつけてセル画のように見せる手法)それで全編を作っている映画です。

世界大戦後の世界。荒廃した土地で世界を統治する完全無欠の楽園都市「ガイア」に招かれた傭兵「デユナン(主人公の女の子)」はここで人間とバイオロイド(クローン)の争いに巻き込まれてゆきますが、それは世界の存亡に関わる大いなる陰謀の一端に過ぎなかった。大戦の傷でサイボーグになってしまった昔のコイビト「ブリアレオス」やバイオロイドの女の子「ヒトミ」。街を作った長老たちなど魅力的なキャラクター達が絡み合って物語は途中から思わぬ方向に向かい始めます。

という感じのお話です。原作とはかなり違う映画のつくりになっていますが、本当にスキ無く作られている感じで、Kanaは最初こそ3Dっぽさに若干の違和感を感じていましたがいつの間にやらどっぷりはまっていました。2回見ると1回目で分からなかった細かい設定や、言葉の端の意味が分かってきます。

とにかく最初は3Dが圧巻です。荒廃した大地。ガラスでできた都市「ガイア」のコレでもかって位の「映りこみ」。セルアニメでは不可能な動きをする人間達。昔あった「ファイナルファンタジー」などからは想像もできないほど3Dのキャラクターに表情から仕草から間のとり方まで「人間」らしさがあふれています。
そして設定もすごく練りこまれています。一級の推理もののようです。裏に裏があってそれにアクションがハイレベルで展開されて。さらに、昔のテレビロボットシリーズを髣髴とさせるような合体シーン(コレは見れば納得)や原作を読んでいる人には同じみのあの「ラスボス」的存在や盛りだくさんっぷりなのです。

それらをすべて含んだ上でこの作品は「人間」とは何かを強く訴えている映画なのです。攻殻が「サイボーグと人の心の違いはナニか?」というような精神的部分をとらえているのに対しアップルシードはバイオロイド(生殖や感情に抑制をかけられた人間)をもちだす事によって種としての「人間」を汲み取っているように感じます。映画のキャッチにある「戦争が終わったら母になりたい」がこの映画を端的に捉えています。原作者のすごさかもしれません。

もうあまりやっていないかもしれませんが一度見に行って損のない映画だと思います。

アップルシード

 

 

コムサカフェ 2004/1/1 カフェ

件のコムサのカフェなのです。池袋は東武百貨店3階にあるのです。
コムサのカフェと言って何を想像するでしょう。全体のデザインが白ベースで生活感が無くてシンプルだ、と思った人はそこそこ正解です。値段がちょっぴりだけ高めで、ケーキセットの割引とかなさそう。と思った人はかなり正解です。

でも

そこがすばらしくフルーツを使ったどっかんどっかんのケーキ専門店だと思う人はあまりいないと思います。すごいですよ。フルーツの使い方が。さらに抜群に美味しいのです。今はイチゴの季節なのでイチゴをふんだんに使ったケーキがショウウインドウに目白押しです。イチゴの一つをとってもそのバリエーションは豊富でタルトから、ベリーの盛り合わせケーキから、チョコレートとあわせたりと幸せと薫りが広がっているのです。
ところでKanaが注文した・・・今日の一品はラフランス(洋ナシ)のケーキ。
梨のぶつ切りがケーキにざっくり載っています。それが程よく甘いのです。それを引き立たせるようなコユイけどあっさりとした甘みの少ないクリームは多分サツマイモを使っています(秋の味覚だからでしょう。またコユイから。)これに一緒に注文した、少々スパイスのきいたミルクティーが実にあうのです。 コレこそがフレッシュフルーツケーキでしょうと言うくらい計算された味わいなのです。そんなわけで、今日もケーキを食べに行くのでした。ベーグルもオイシイゾ。

カフェコムサ

 

 

ルブラン 2004/1/1 カフェ

nikkiにも書いた2600円のディナーのお店。銀座三越の裏にあるルブランと言う喫茶店なのです。2階がお食事できる場所なのです。

まず、このお店はお菓子屋サンなのです。その上でランチとかディナーとかお食事もできるわけで、お食事はイタリアンです。値段も2600円から5000円程度、誕生日とか記念日のコースもあって、その時はお菓子やサンらしく立派なケーキがついたりするようです。

2600円のコース

●前菜3種 食べやすいのです。とても優しい味なのです。それだけでなんだか満足してしまう一品なのでした。
●メイン Kanaはチキンのケッパーソース。ムスメは海老と魚介のリゾット。コレが実に絶品でした。お肉料理は特にソースが忘れられない味だし、リゾットは海の味が濃縮された感じがこれでもかと言うほど強く、ワタクシタチとしては以前横浜紀行で紹介した「リバイユエクスキューズ」にも増して星3つを差し上げたいと思ったのでした。かつて無く美味しい。 ほかのメインディッシュも食したいと強く思うわけで。
●デザート  先ほどのメインを食べて、コレで2600円はありえない、と騒いでいるKana達にだされたデザートはこれまた3種盛りで「カシスのシャーベット」「焼きプリン」「カボチャのクリームでデコレートされた焼き菓子」・・・コレがメイン以上にすばらしいのでした。流石お菓子やサンだけはあります。Kana的にはプリンです。甘みの少なく苦いカラメルソースのプリンはこんなにあっさりしたものがあるのかと思う味にだまされてものすごく濃い。こんなにあっさりした味なのに量はとても食べら無い濃さ。正に未知の味なのでした。

さらに追い討ちをかけるようにムスメも絶賛していた、サービスさんのステキな笑顔。さらに、さらに予約をするとシュークリームをお土産に持ち帰らせてくれると言う特典つき。その上でお値段は税込みで2600円

こんなすばらしいものを食べないのはもったいないと思います。ええ、このサイトを見た人はお得だなと、Kanaは思うのでした。さあ、ソコのステキなお姉さん一緒にご飯を食べにいきましょう。(Kanaよ一人で逝ってしまえ)

ルブラン銀座店

 

過去のお散歩