的生活



12月11日(月)「永遠のBohemian」


ここに1枚のはがきがあります。消印は1986年7月24日。僕が下村誠さんに書いた手紙の初めての返事でした。
内容は、その当時、僕がすごく才能を感じるアマチュアのアーチスト、小野寺丈くんのライブについてでした。
この良さを誰かにわかってほしい!そんな思いから僕は下村さんに手紙と、小野寺丈くんの自主制作盤をテープにダビングして送りました。返事の内容はかなり手キビシイものでした。でも、それがきっかけで、丈くんとも親しくなり、一緒にライブに行くことも多くなり、時々そんなライブ会場で下村さんと顔を合わせることが多くなりました。
こうして下村さん、小野寺 丈くんとの交流が深まり、丈くんに関してはその関連で漫画家のアシスタントをやることができたり、劇団の制作進行をやったりと繋がっていき、下村さんも雑誌「G-U」の発刊のきっかけとなったり、とかなり僕の人生に深い関わりをしていくのでした。

そんな下村さんが12月6日、同居者宅の火災に遭い、亡くなってしまったということです。死因は報道によると一酸化炭素中毒ということです。

突然の死にまだ、正直、現実のものとして受け止められません。

え!え!? それってどういうこと??
もう、下村さんに会えないってこと?しゃべれないってこと?歌を聞けないってこと???
いや、下村さんは、いつも日本全国、歌いながら旅をしている人だから、いつかどこかで会えるんじゃないの、
なんて、フツーに思えてしまうひと。
いつ会っても、自由でパワフルで、「鈴木くん、久しぶりじゃん!」とにこにこした笑顔で話しかけてくれました。
あんな生命力あふれている人が火事で死んじゃうなんて!!

それってどういうこと??もう、永遠に会えないってこと?
そういえば、最近全然、下村さんのライブに行ってなかった。子供が生まれてから特にだ。
1〜2年前に長野に引っ越したらしいってことは聞いていました。
でも、下村さんのこと。どこに住んでいようが平気で2〜3日前にメールで今度、どこどこでライブやるから来てね!というメールが届くだろうと思ってました。子供もちょっと大きくなってきたんで、久々に観に行こうかなぁと思っていた。
それがもう会えないなんて。あの歌が聞けないなんて。
もっと、行っときゃよかったなぁ〜。そう思ったら、涙があふれてきた。

ホントは今でもちょっと思ってます。携帯に掛けたら、つながるんじゃないかって。「もしもし、鈴木くん?あー!あれ、間違いだよ、俺じゃないって!俺、生きてるって!(笑)」と答えてくれそうな気がする。。。
なんだかパワフルで、、、僕の中では下村さんて、いつでも自由に旅して、好きな歌を歌い、好きなことだけをして、永遠に旅をしている人なんだなぁと。

ホームページを色々、調べたら、東京で法要があるそうです。
とにかく、それには行ってみようと思います。



11月11日(土)「勝利宣言!」

今週、ようやく注文したチェコビーズが届きました。。。。
長かった〜〜。
5月に注文してから今は11月。半年ですよ。
ドナちゃんからビーズアクセサリーのパーツの相談があったのは、5月くらいかな。チェコリーフといって葉っぱの形をしたモチーフなんだけど、ドナちゃんが使っているものが急にビーズパーツのお店で扱わなくなってしまった。この世界、、、といっても僕はあまり詳しくないが、ビーズパーツのお店で今まで扱っていた商品(つまりビーズパーツ)を急に取り扱わなくなることは日常茶飯事らしい。まぁ、趣味程度でやっている人には構わないが、定期的に委託で商品を置いている身で急になくなるとかなり困ってしまう。つまり、納品していたアクセサリーと同じものを追加オーダーで入っても、パーツがないと創れないのである。
特に葉っぱと小鳥のモチーフは手づくりドナちゃんのアクセサリーには欠かせないモノと言っても過言ではない。
店に入らなくなった。
どうする?
ビーズパーツは海外から輸入するものが多い。
どうする?
自分たちで輸入する?
それともあきらめる?
お客にNO!とは言えない。
自分たちの商品を扱ってもらって、なおもその商品を欲しいと言ってくれる人たちに対して、
パーツがなくなちゃったんでできませ〜んと軽々しく言えない。

じゃ、どうする?
自分たちで作る?
業者を探してみた。なかなか見つからない。見つかっても価格的に見合わない。。
もともと海外で作って輸入しているもの。
中間業者が入ったとしても国内で生産するより、やはり海外で作った(または作らせたモノ)を購入したものを買う方が確実。
やっと見つける。自社の工場でオリジナルのものを作る会社を。
今回は、僕らが持っているビーズパーツを特注で作らせるというもの。

僕は直感的に自分の仕事に使えるかも!と思った。僕の仕事って時にはノベルティグッズのようなものを作らせるという仕事も発生する。それこそ、今までないようなものを創ってもらうということも充分ありえる。
そう思って、少し期待をしていた。
で、5月に注文して、海外の工場で作らせるという時期は多分、8月頃。

そして、8月。ドナちゃんがいつパーツが入荷するか連絡しても一向に返事が来ない。
で、入荷したと思ったら、サイズも形も違うものを作ってきてしまったという。

ぶっちゃけ、ありえる。僕も以前海外でポケベルの付属品みたいなものを作らせたことがあるんだけど、正直、国民性の違いかなと思うくらい、いい加減なものを作ってくることがある。小さいビニール袋に入れた部品の袋にわらなのか葉っぱなのか小さいゴミが入っていた。どんなところで作業をしていたか想像が付くが、だからといってその小袋をポケベルの付属品として一緒に梱包することはできない。即巧、突っ返し、納期まで部品を袋つめをし直させた。2万個くらいあったんじゃないかな。

本題に戻すと、この間違えたパーツをいつ納品できるのか?5月に注文して3ヶ月掛かってる。
いつまで待てばいいのか?
その電話を入れても一向に返事は来なかった。
この会社、トンデモないところで、お店に注文をしたにも関わらず、営業担当しか仕事の流れがわからない。おまけに肝心の担当は携帯の留守電に入れても返事が来ない。

こっちは、客を待たせてるんですよ。いつ入荷するのか、百歩譲って、オーダーをミスったのは仕方がない。じゃ、いつ納品できるの?って話だ!

こっちから電話してやっと繋がって、出来上がるのが10月半ば。つまり、1ヶ月半も掛かるという。
しかし、仕方ない。他にどこの会社も葉っぱのパーツを作ってくれないのだから。ここに頼むよりすべがない。

通常、自分のとこのミスで納期が遅れた場合、正確な納期を伝えるのが仕事だと思うんです。だから10月中旬に出来上がるということであれば、10月に入った時点で○○日に納品します。と連絡を入れるのは普通だと思うんですよ。それをこっちから連絡を入れても電話、来ないですし。。あまりに繋がらないので、注文をしたお店に電話すると、「営業に出ているので〜」と。カチンときた。
じゃ、何か!?俺の電話は仕事の電話じゃないのか?!
確かに個人の客は金額が知れてるんで、大した儲けにならないかもしれないゼ!
でも、個人の客に電話1本入れられねぇで、てめぇは一体どんな仕事をしてるんだ!??

やっと連絡が取れて、入荷が10月26日になるという。
全然、10月中旬じゃないじゃん!しかも、アメリカで作らせたらしく、税関をうまく通るかわからないとのこと。
そしてまた連絡が途絶える。
遅れたお詫びに価格をかなり下げてきた。
しかし、こちらもかなりやばくなってきた。つまり今まで代用品で納品していたが、もう、ごまかしがきかなくなってきた。つまり葉っぱをモチーフにしたビーズアクセサリーを納品してください。ということだ。最後の手段として別なお店に納品してまだ売れていないものを返品して別のお店に納品した。もう、すべがない。
本当にリーフのビーズを購入することができるのか?
下世話な話、僕らがもし、もうイヤダ!これ以上待てない!キャンセルだ!といった場合、どうなるか?
もともと、市場に普通に流通していたものが急に入らなくなったわけです。すっとぼけてお店で売ったら売れるでしょう。
どこに行っても買えないワケですから、多少高めに売っても、売れると思うんです。
そうなったら、悔しいですね。多分、僕らがこの対応の悪さに愛想を付かしてキャンセルしたら、逆にお店側は儲かると思いますよ。そうはさせたくないですからね。

じゃ、いつまで待つか?いつまで、僕はイライラしながら電話しなきゃいけないのか?
ついに僕は切れて、「担当を変えてほしい!」と電話も入れました。それが営業部長でも社長でも構わないと。とにかく一刻も早く、ウチはパーツが欲しいんだと激怒しました。

そしたら、ようやく、担当営業から電話が来て、うちの商品がなぜか韓国で止まっていて、それを入国するための手続で韓国へ行っていたとのこと。いまは別件で福井に向かう新幹線の中とのこと。
なるほど、アンタが忙しいのはよくわかったよ。でもそれと俺に電話が出来ないっていうのは別問題だ。
で、11/6(月)に日本に入ってくるという。それまで、お詫びといって金額を下げてきた。
でも、そういう問題じゃないんだよ、という部分はかなりあった。僕もウダウダ言うのも面倒なんで、わかった!じゃ、それだけ遅れるなら、あと2万ひいてください。とかなり無理目な要求をした。そこでガタガタ言ったら、何万億の言葉を浴びさせようと思ってたら、「そうですか、、、ご迷惑を掛けているので、、、わかりました」と収まった。

当然だよ。自分が客の立場でこんなにてこずったことはなかった。当然、この会社とは、今後個人でも会社でも付き合っていくことは絶対ない。当たり前だ。こんな会社とつるんだら、自分の足元をすくわれてしまう。

僕の仕切りでどうにか納品に漕ぎ着けた。多分、普通だったら、途中で頓挫して終わるだろう。2ヶ月〜3ヶ月平気で遅れてしまう存在があり得ない。
普通の仕事の流れとしたら考えられない。あとは、、、、相当なめられたのかもしれない。
所詮、個人だからね。これで商売しているワケじゃないし。だとしたら、なめる相手を間違ったことですね。電話だけだったけど、担当は30ぐらいの若造でしたから(^^;)

でも、プロ意識と責任は、こいつらとはくらべものにならないものを持っている。
だから、といって僕は敢えてこの会社名も営業担当の名前も公表しない。今さら攻撃してこの会社の評判を落としたり、担当営業をクビまで持ち込んだところで、何もならないからだ。あんたらで好きにやってればいい。
ただ、僕らは今後一切、、この会社とは関わりを持たない!

じゃ、何が目的でこんな長々と書いたのだろう?と思うかもしれませんね。

タイトルに戻ってみてください♪

勝利宣言です!(^0^)/

そして、僕が本気で関わったら、コワイよ〜、ということです。
勿論、暴力に訴えることはしないですよ。あんた、ちょっと違うんじゃないかと思ったら、とことん突き進みます。

…ただ、少々疲れるけどね、できればあまりしたくないです。(^-^;)




早速、新作を作ってもらいました♪



11月8日(水)「のだめカンタービレがおもしろい!」

今期のドラマは面白いものが多いですね。
「Drコトー診療所」は、前作から2年たったドラマですが、そこに暮らす人たちも着実に2年の時が流れているところがすごいですね。前作を追っかけで再放送で観たクチですが、丁寧なドラマ創りに感動してます。全盛期の山田太一のドラマを観るようでかなり楽しみに安心してみています。そういえば、小林薫も時任三郎も「ふぞろいの林檎たち」に出演してましたね。
そういった正統派ドラマも面白いのですが、なんといっても今期は「のだめカンタービレ」ですね。
最初、クラシック音楽のドラマだーと思っていて、実はチェックしてなかったんですよ。僕、音楽は好きですが、クラシックは全然わからないんでね、、、、初回を観たドナちゃんがすごく面白い!と言ってたんで、2回目から観ました。だからなぜ、竹中直人が世界的有名な指揮者(しかも外人!)なのかよくわからない。。。
基本的には、コメディなんで、あまりのバカバカしさに笑っちゃうんですけどね。3Dを使って主人公・のだめを殴り飛ばすシーンなんか結構、ビックリ!のだめ役の上野樹里は、よくこの役を引き受けたなぁというくらいハジけてます。
それでも今週オンエアされたオーケストラのシーンなんてスゴかったですよ。ドラマの中の演奏シーンなのにかっこいい!と思ったり、感動して涙が出たり。。
こーいうドラマは今までになかったですね。
今後、どうなっていくか、竹中直人のインチキくさい役どころを眺めながら注目していきたいと思います。


10月29日(日)「g.u.へ行ってきました」

早速、「g.u.」へ行ってきました。
僕が行ったのは、ダイエー東大島店の3Fにオープンした「g.u.」でした。
最初、ビックリしましたね、「g.u.」という店ということは、「g.u.」ブランドなんですよ。つまり!
タグにも「g.u.」と入っている!!
なんか自分のブランドを立ち上げたようでしばし興奮!!!こりゃ、絶対買わなきゃ!
何を買おう!何を買おう!!とワクワクしながら店内を駆け巡るっ!



…すると少しづつ色々なことに気付いてきました。
確かにファミリーターゲットのようだが、ユニクロと較べてどうだろう??
さらに仮想ターゲットの「ファッションセンターしまむら」と較べてどうだろう??
まず、ユニクロと較べて全体的に地味です。ま!ユニクロの売りが多すぎるくらいのカラーバリエーションですよね!?
例えば、フリースを例に取ると、石油高騰も影響したのかユニクロの方が
500円くらい高く、2000円近くします。しかし、2着買うと3000円というセット価格もあります。では、少し安い「g.u.」で3種類くらいしかないフりースの中から選べるかといったら選ばないですね。
この日の目的は何かというとパジャマにもなるスウェットスーツを買いに行ったのですが、なんと!ユニクロの方が安い!
「g.u.」も負けずに5種類くらいのカラーバリエーションがあったのですが、ユニクロのホームページでチェックしておいた色の方がいいかなぁ。。。
まぁ、ユニクロにおいていないようなアーミージャケットもあったのですが、価格の安さでは全然、しまむらにかなわないし、、、
で、給料前ということも手伝って、結局、ユニクロへお気に入りの色のスウェット
を買いに行きました。
ということで、「g.u.」ブランドの服は給料が入ったら改めて行くことにしました。
それにしてもビックリしたのは、気付かないうちに僕はユニクロフリークになってましたね。。。
品質において絶大な支持をしてますからね。「g.u.」に対しては、ぱっと目、ユニクロより品質が落ちる気がします。かといってしまむらほど低価格というワケではないですし、、、
しばらく様子見かな。。。



10月15日(日)「10年も前から『G-U』」

「ユニクロ」のファーストリテイリングから「g.u.」というブランドで新しい店舗展開をするらしいです。店舗名もまさに「ジーユー」という。。。これは、だまってるワケにはいかないでしょーー(笑)「G−U(ジーユー)」っていったら僕とひるます氏が10年前に創った雑誌名です。(^^;)「グレート・アンバランス」、略して「G-U」というその雑誌は、「個人の表現」を発信する雑誌と銘打ち、95年5月から96年8月まで、季刊として3号まで創られました。雑誌というからには、一般の書店に置いてもらいたいと思い、直接、お店に持ち込んだりしました。その甲斐あって、ブックセンターリブロ(青山店、池袋店)や新宿紀伊国屋書店の2階「テイトムセン」とか輸入レコードを扱ってる「ディスクユニオン」とかとにかくメジャーな街に置いてもらえるよう、頑張ったナァって記憶があります。(現在はどのお店でも取り扱っておりません)今、思い起こすと僕の人生の中でもかなり、思うままに能動的に動いた時期だったと思います。

そんな思いで深いネーミングの「ジーユー」を今度は洋服やの名前として見かけることになるんですね。しかもユニクロが出店するなんてね。実は僕、大のユニクロマニアなんです。(笑)多分、僕の持ってる服の80%以上がユニクロで買ったものです。特にTシャツ。企業コラボといって企業ロゴをデザインとして入れたり、学生がデザインしたものを採用したりと、毎年、様々な企画で独自のブランド展開をしてます。中には、これを一体誰が着る(買う)のかと頭を悩ませる商品もあるのですが、そういったモノも含め、自分のセンスで選ぶことが出来、それはそれで楽しいです。大体、800円〜1000円くらいの低価格でそこそそこの水準を保ってます。フリースは若干、質が落ちたかなという気がしないでもないですが、トータルでいうとやっぱり、ユニクロを選んでしまいます。(勿論、チャリで行ける距離にある、というのも理由のひとつですが)

「ジーユー」は
そのユニクロより低価格でファミリーをターゲットに展開していくらしいです。どうしても較べてしまうのは、ファッションセンター「しまむら」ですね。東京には、数える程しか店舗はないのですが、千葉や埼玉など郊外に出掛けると、必ず目にする、、っていうか進んで出掛けてしまうというくらい利用しています。特にドナちゃんの実家に行く途中にあるんで、それこそトイレ休憩の感覚で用ががなくても立ち寄ります。(^-^;)
価格はかなり安いです。500円のTシャツや下着なんてザラです。「しまむら」で2000円以上の商品を見つけると「高い!」とさえ思ってしまいます(笑)。ただ、品質もそれなりで、質に関してはユニクロほど信頼していません。そこの市場に「ジーユー」がどうやって切り込んでいくのか??
店舗は再建中の「ダイエー」を中心に“支援を含めて展開していくらしいです。うちの近くにもダイエーがあります。しかし、そこをクルマで通り越し、さらに10分先のジャスコへ買い物に出掛けます。もしそこに「ジーユー」がオープンしたら、必ず出掛けようと思ってます。そのときは、またレポートしますね。。


10月8日(日)「ひとの一生について考える。」

「ヤバイ!うちもまずいらしい。帰らなきゃならない」と上司の携帯に緊急の電話が入ったあとそんな言葉を発してました。実はその数分前に僕の携帯にもびっくりするような電話が入り、上司に早退願いをしていたところでした。

なんとダブルで!!
僕ぐらいの年齢になると急な電話というのは、大体想像が付くものです。
うちは、「母親が救急車で運ばれた」と。
意識はしっかりしてるがとても苦しそうだというドナちゃんからの電話でした。一方、上司は、前々からお母さんが患っていたらしく、ついにきたかという危篤の知らせでした。
僕も上司もあわてて仕事の段取りを済ませ、それぞれの場所に向かいました。それにしてもすごい偶然ですね。

僕が病院に着いたのは、夕方の4時半過ぎ。救急病棟のベットの上に横たわり、応急処置を済ませまさに診察が始まるところでした。母親の意識はありましたが、少し苦しそうでした。ただ、血圧が高いことが少し気になりました。
母親は、週2回、こどもの面倒をみに僕のうちに来てくれています。この日も普段通り来てくれ、ドナちゃんは用事があって外出していました。お昼の2時くらいに、こどもといっしょに散歩に出ようと思ったところ、急にめまいがし、いつもと違うへんな感じがしたそうです。取りあえず、うちに戻り、ドナちゃんに電話するが、すぐには繋がらない。気分が悪くって横たわってると、今度は子供が心配でならない。ようやくドナちゃんと連絡が取れ、すぐに戻ってくるという。あとで聞いたが多分、15分くらいで戻ったらしいが、具合が悪い身としては、いつまで自分が持つかわからない。

こっから先、母親の取った行動は自分の親ながらアッパレだと思いました。なんと、以前ドナちゃんが子供を連れて遊びに行ったことがあるという同じマンションの同じ階に住む3軒先のお宅へ駆け込んだ。ちなみに母親はその方との面識はない。そして、気分が悪いので、救急車を呼んでほしいということと、子供をみてほしいということを告げたらしい。普段、人に迷惑を掛けたり、世話をしてもらうことを極端に嫌い、控えめに遠慮しながら生きてきたひとです。逆に考えるとかなり切羽、詰まっていたんだろうね。自分がどうなるかわからないと言う状況。でもドナちゃんが自宅に戻ってきて一緒に救急車に乗ってるときも苦しみながらも妹に連絡してほしいと告げたっていうのは、立派だと思った。妹が来れば、ドナちゃん、自宅に戻れるからね。

で、色々検査をして、どうやら原因は急に血圧が上がったことらしいが、なぜ上がったかは今ひとつわからない。そしてさらにやっかいなことに動脈瘤が見つかったということだ。
動脈瘤とは簡単にいうと脳の血管付近にできるこぶみたいなもので、これが大きくなり波裂すると、くも膜下出血になるらしい。母親の場合はまだそんなに大きくないので急に手術という心配はならないらしいが、今後、手術ということも視野に入れながら治療していかなければならないらしい。ただ、今回、救急車で運ばれた直接の原因、つまり急に血圧が上がった原因はどうもそれではないらしい。じゃ、どこが原因?っていうのはあるのだが、取りあえずひと安心。まぁ、これから色々、始まるんでしょうね。
で、今日、上司のお母さんのお葬式に行ってきました。74歳、長く癌を患っていたらしい。僕の親ももう、71歳。何があってもおかしくない。あと、5年…、いや10年、子供がもう少し大きくなるまで見届けてほしいです。でも、いつか僕は母親の葬式をすることになるんだろう。。。その時、僕はどうなるんだろうか?上司はすごく冷静にお葬式を取り仕切っているようにみえた。僕には出来ないだろうなぁ。。相当、取り乱しそう(^-^;)

そして、僕が先に逝ってしまうことも考えてしまったりする。病気とか事故とか。30代の頃、特に結婚する前は全然、そんなこと考えていなかったんですけどね。それを成長と捉えるのか、老いと考えるかはわかりませんが(笑)


ひとの命って繋がっていくんだなぁ。
僕がここに存在するのは、母親のおかげ。
父親と母親が結婚して僕が生まれた。
そして、僕とドナちゃんが出会い、優太郎が生まれた。
日々、いろんな人と関わりあいながら生きている、生活している。
迷惑掛けたり、世話になったり。。。
その関わり合いの繰り返しが生きていく、命を繋げていくということなんだろうなぁ。

今日はちょっと哲学的なボクでした。


9月23日(土)「巣鴨の『天』。」

巣鴨駅から歩いて約10分くらいのところに「天」という居酒屋があります。ここは、僕が学生時代アルバイトしていた「ビュッフェ」の厨房のチーフだった佐々木さんが開いた店でした。

僕が「ビュッフェ」でバイトしていたのは、大学3年のときでした。大学が中央線沿線にあったので、バイトもその沿線で探し、食事が付くという理由で飲食店関連ばかりのバイトを探していました。しかもビュッフェは丸の内にあった「博報堂」の社内食堂だったので、土日は休みの上に閉店時間も9時という飲食業界では考えられない勤務形態でした。
そこで働くバイト仲間も社員もホントにいい人ばかりで(中には気の合わない人もいましたが)、あまりに居心地がよいので、結局、4年間。つまり大学を卒業したあともここでバイトをしてました。なんで大学卒業してバイトしてたの?と思う方もいるかもしれません。
僕は、バイトしながら漫画を描いていたのです。で、たま〜に1ヶ月に1回くらい知り合いの漫画家のアシスタントの仕事をしていたんです。それも前日に連絡があるわけですよ。「明日の夜、手伝ってくれる?」みたいな。
ビュッフェは昼も夜も営業していてバイトも20人くらいいたんで、一人くらい急に抜けてもどうにかやりくりが出来ました。逆に僕も急に人手が足りないときは朝から閉店までやっていましたが。。。(^-^;)
いま、思い起こすとビュッフェがなかったら、漫画を描き続けることは出来なかったかもしれませんね。
で、ビュッフェの卒業して2〜3ヶ月あとにこの前書いた丈くんの紹介で漫画家のアシスタントになることができたのです。(おお!ここで繋がるとは。。。)
ビュッフェを卒業したあともよく仲間と会ってました。定期的に会うようになったきっかけは、劇団の仕事をやりだした頃です。多分、アシスタントをやめたあとだから90年頃かな。大体、僕が声を掛けて飲み会を開くわけです。で、最近どんな仕事やってるのって話になって俺は劇団の制作をやってるって話になるわけです。で、そこで、じゃ、観に来て、って話になるわけです。最初は来てくれたりするんです。でも毎回になるとね。。。
それでも来てくれる友達がいるんです。別に俺が出ているわけでもないのにね。その6〜7人のメンバーがその後ずっと続いていて20年以上になる。「天」の佐々木さんもそんな中のひとりで、なんかの話で芝居を観るのは好きだと聞いて、声を掛けたら、奥さんと来てくれたんです。その気持ちが嬉しくってね。だから佐々木さんが巣鴨にお店を出したと知ってからは、自然とビュッフェの仲間の飲み会は佐々木さんのお店と決まってました。夜の7時からそれこそ閉店まで、いや閉店時間が過ぎてもいたこともあります。20名くらい入るお店は僕ら10名くらいでほぼ貸切状態になってました。

その「天」が今月いっぱいで店を閉めるというのです。年1回、集まって、結局、昔話で終わっちゃうんだけど、20年経っても、変わってないね、と言える仲間がいるってことが素晴らしくってね。ある意味、いい歳の取り方をしていると思います。そこで7〜8年ぶりくらいにビュッフェの店長だった方に会って、今年は旧ビュッフェの忘年会をやろうという話まで発展しました。それこそ20年ぶりの人ばかりになるのかな。ビュッフェも8年前に解散というか別の飲食関連の会社に吸収合併されたんですよ。で、確か佐々木さんは自分でお店を出したという経緯があるんです。
帰り際、佐々木さんに北海道に転勤で行ってる仲間からのメールの話をしました。
「なんかびっくりだね、ずっとお店って続くって思ってたし、飲み会があれば、何時でも構わないやって感じだったのに閉店だなんてね」
佐々木さんも「そうか そうか」としみじみうなずいていました。
帰り、巣鴨駅に近付いたとき、「この道を通って、「天」で集まることはないんだな」と思った。すごくさみしい気がした。
結局、閉店の理由を詳しく話してはくれなかったけど、佐々木さんから届いた「閉店のお知らせ」には、また、どこかで店をやるときは、お知らせする、と書いてありました。今はその言葉を信じて、待とうと思っています。



8月18日(金)「90年代の下北へタイムスリップ!」

昨日、久々に下北沢へ芝居を観に行ってきました。
実をいうと89年から94年まで僕は演劇に関わっていました。小野寺 丈くん、率いる劇団JOE Companyという劇団だったんだけど、訳あって、95年の最初にその劇団をやめて、、、決して円満退社ではなかったです。その後、丈くんからの公演案内は届いていました。何度か足を運ぶこともありましたが、次第に遠のいていきました。

そして2006年、僕は今の会社でとある企業の会社案内を作っていました。その中でモデルを使っての撮影が必要となってきました。表紙ではないですが、わりとメインになるショットなので、社員を使って撮るには、キビシい部分もあるだろうというクライアントの考えがありました。モデル撮影か。。。ピン!と思いつくのはかつての知り合いですが、演劇を離れて十数年。さすがに知り合いは減ってきます。まず、94年に演劇ユニットで一緒に芝居を創ったパントマイマーの神谷さんに連絡を取りました。神谷さんとはその後も連絡を取り合っていて、僕が95年失業したときも印刷会社で働いている友人を紹介してくれたり、2001年僕が入院したときもお見舞いに来てくれました。で、神谷さんの紹介でタレント事務所を紹介してもらいました。その中で何名かイメージに合う人がいたので、交渉は続けていく予定です。
その話もあり、神谷さんとも、近々、会いたいなぁと思っていたら、ちょうどJOE Companyの公演案内が目に止まりました。この公演には、神谷さんと知り合うキッカケとなった演劇ユニットで僕と一緒にこの公演を企画した植松洋さんも出演していたのでした。神谷さんと植松さんは青年座の養成所からの付き合いでもう20年以上になるのかな。。。当然、義理堅い神谷さんならどこかの日程でこの公演を観に行くでしょう。
再び、神谷さんに電話。そして植松さん扱いでチケットを予約してもらいました。

久々の下北です。小田急線の南口を出るといつものそして80〜90年代、よく足を運んだ下北でした。店は随分変わっているけど、ごちゃごちゃした雑多な街並みは変わっていませんでした。同じごちゃごちゃしてても渋谷や新宿と違い危なさを感じないのは、ここに集まってくる人々がサブカルチャー的なにおいのする演劇、音楽、ファッション好きな人たちだからかなぁ。

そして目指す本多劇場へ。神谷さんと会うのは何年ぶりだろうか?僕が結婚してからは会っていないんで5〜6年になるのかな。
会ってすぐ僕の変わり様(?)に驚いてました。この日のいでたちはモスグリーンのハンチングに茶系のボーダーポロシャツ、極めつけはヒゲですからね(笑)
「だいぶ、変わった(おしゃれ)になったねぇ、どっちかっていう(身なり)と気にしないというか構わなかったよね〜。」まぁ、構わなかったワケではないが(笑)、神谷さん自身結構、オシャレだったからね。その神谷さんからこんな風に言われるってことは、少しおしゃれっぽくなったのかもね。

芝居のあと、植松さん、神谷さんと下北で飲んだ。
植松さんも全然変わってなくって、飲んだ席で必ず出てくるのは、クワガタの話と芝居の話。今回の芝居に関しても熱く語っていた。クワガタもスゴイ昔、一度植松さんと山梨県の山奥まで一緒にクワガタ採りに行ったことがあります。
植松さんのクワガタ採りはハンパじゃない。夜中高速をとばして、2時くらいに現地入りしたのかな。山も山ン中、道なき道をまっしぐらで、懐中電灯片手に走り回りました。まぁ、クワガタ、それもオオクワガタ採りですからね。人が通るようなところ探したっているわけがない。結局、このときの収穫は、ミヤマクワガタとカブトムシを山程。たしか妹が勤める保育園にあげる目的もあって一緒にクワガタ採りに行ったと記憶してます。

ひと通り話も盛り上がったところで、植松さんが、「どうする?丈くんに会っていく?」と言われました。偶然にも公演の打ち上げ(芝居が終わったあと、出演者が来てくれたお客さんと一緒に飲むこと。そこで芝居の感想を聞いたり、演出家からダメ出しが出たりすることもある)を同じ店の上の階でやっているらしい。せっかくここまで来ているのだし、逆に会わないで帰るのもヘンかなと思い、植松さんに連れられ、打ち上げ会場へと向かった。すごく久々なんでちょっとドキドキしながら。。。。

会うといきなり「わーーーー!!たかしさん、来てくれたんですか!?」
僕が来ることを知らなかったためかすごくビックリし、すごく喜んでくれた。
丈くんは相変わらず20人くらいの役者を束ねて公演を打ち、相変わらず元気よく役者たちの受け応えをしていました。昔のままの打ち上げ風景だった。ただ、ちょっと丈くんと交わす会話に大きな変化が。。。
丈くんのところも今年の始め男の子の赤ちゃんが生まれたらしい。さっそく子供の話です。
結構、まめに子供の面倒をみているようだった。ウチが今だ夜中2時間おきに起きるんだよと話すと、1歳半で!?とすごく驚いてた。この大変さは、ちゃんと子育てしている人じゃないとこの苦労はわからないんだよね。
…でも、僕と丈くんとでお互いの子供の話をできるとはね。

そのあと丈くんと知り合った頃の話になり、当時はよく僕が住んでいた新小岩の安アパートの話になった。
もう、20年くらい昔の話だ。
そうか!丈くんとはその頃からの付き合いだったか。

あの時代の僕を知っている人で今付き合いのある人達って今、どれくらいいるんだろう?
一番、貧乏で、一番多くの仲間と出会った頃なんですよ。
その頃の知り合いで、今でも続いているのは、大学時代にバイトで知り合ったビュッフェの仲間だけかと思ったら、丈くんも来ていたんだなぁ。

そっか、その頃からの友達だったんだぁ。

僕的には「そろそろ」かな。お互い子供も生まれ、一時代過ぎたし。

ちなみに今回観た芝居のタイトルは「ほろほろ」。ほろほろと雨が落ち、ほろほろと涙が落ちていき、、、ラスト希望を残して終わっていきました。登場人物が多くてちょっと難解でしたが、役者がうまいし、随所に見られる凝った演出は「JOE Company」らしかったです。

終電間近、植松さんと下北沢駅に向かいました。街にはまだ、がやがやと20代の若者がいて、その間を植松さんと駆け抜けて、途中、同じ公演に出ている役者と会ったりして「明日もよろしくお願いしまーす」なんて会話をしている。こうして、駅に向かうなだらかな坂を歩いているとタイムスリップしたようでした。

下北でのひとときのタイムスリップ、今後の僕にどんな変化が訪れるのか、ちょっと楽しみです。




8月4日(金)「元春VIDEOS 1980-2004」


佐野元春のエピックソニー在籍時に作られたビデオクリップやテレビ出演のDVDが発売されました。
80年代は必死に音楽番組をチェックして録画してあったので、数回は見ているのですが、90年代2000年になるとあんまり記憶にないものばかりでした。まぁ、80年代に録画したビデオは、カビ等もあって劣化するばかりでもうほとんどが見れない状態ですし、DVDということもあり、ひとつ保存版ということで買ってみました。
改めて見てみると、懐かしいですね。
年代を追って見て行くうちにその当時を鮮明に思い出されてくるんですよ。例えば1986年「ワイルド・ハーツ」を見ると、そういえば、「東京マンスリー」のチケットを取るためにわざわざ武道館周辺の公衆電話まで行って、「チケットぴあ」に電話したなぁとか。。当時、そんな噂があったんですよ。確かチケットぴあのある地域の電話局だと同じ回線だからつながりやすいとか。。。
でも結局、つながらずぴあの「はみだし」かなにかでチケットを譲ってもらいました。

87年「99ブルース」っていうとなんといっても初の横浜スタジアムを思い出すわけですよ。
その頃、漫画家のアシスタントでチケットを取るとき、2日続けて横浜までライブに行けるかなぁと不安だったのですが、見事に2日!行きました。90年に入り「ジャスミンガール」を聞くと、当時気になっていた女の子のことを思い出したり、、、(*^-^*)
93年「欲望」。
「ザ・サークル」が発売された頃で、その頃は江古田に住んでて、ひるます氏と頻繁に会ってた頃だ。勿論、きっかけは元春でした。

そして、96年になるとその歌と共に違った思い出が増えてきました。
例えば「楽しい時」
この歌は佐野元春ファンクラブ誌「カフェボヘミア」の編集をしていた松本くんの定番でした。
松本くんが「カフェボヘミア」誌上で「佐野元春の歌だけを歌うカラオケ大会」を企画し、ファンに呼びかけました。場所は東京・渋谷のカラオケボックス。
15名くらい集まったと思うんですよ。その中にここによく登場するITくんがいて、、、

そこからは、元春の曲と共に色んなことが思い出されて、、、名古屋でのフルーツツアーのライブを見て深夜バスで帰ってきたなぁとか、その仲間と大阪や博多のライブに行ったなぁとか。


そこから色んなところに交友関係、行動範囲が広まっていきました。

その流れで「元春ホームパーティー」の人たちと出会ったり、、
一緒に新潟までスキーに行って、夜は美味しい日本酒を飲んだり、スタジオを借りて、元春の曲をセッションしたり。楽しかったなァ。

DVDを見ながら、まさに佐野元春と共に生きる!みたいな感じで。。。
そう思った人、結構いるんじゃないかな(笑)

今はまだ、子供が小さいんで、あんまり自由はきかないけど、少し大きくなったら、またみんなと遊びたいなぁ!
そのときはよろしくね、皆さん!(^o^)/




7月7日(金)「気分転換、メガネ転換」

ちょっとした気分転換をしたいというのもあって、メガネを変えました。それにしてもメガネって安くなりましたね。僕は「Zoff」で買ったのですが、なんと!7350円ポッキリ。安いですよね〜。大体メガネって片玉無料とかいって安い値段で飛びつかせて、いざ、買うとなると、マルチコートがどーだとか、紫外線がどーだとか言って結局、5000円くらいアップするのが相場でした。しかし、「Zoff」はそんなメンドくさい会話は一切ありませんでした。金額を聞いてビックリで、思わず確認しちゃいました。「スミマセン。このレンズは紫外線予防のマルチコートとかは?」「ハイ!標準で付いております。」
そ〜なんだ、ホントはそんなレベルなのかもしれない。でもメガネ屋だと「スーパーマルチなんとかだと、紫外線ががどーのこーので、、、」で、結局、眼によいものをなんて思って、ちょっと高いレンズにしてしまう。
でも、こういう価格で買えたりすると、意外とこんなレベルで問題ないんじゃないかって思う。(掛けてて全然問題ないしね)
メガネを変えたのは、実に久しぶり。5〜6年ぶりかな。古くから僕を知っている人ならわかると思いますが、
昔、掛けていたエンジ色のメガネにちょっと近い感じ。
でも、ちゃんとドナちゃんの監修が入ってます。(^^;)
そう、僕とドナちゃんが付き合って間もない頃、ドナちゃん的に、僕のメガネはどうしても許せなかったらしい。オシャレじゃなかったというのかな。
でも、僕的には、結構、気に入っていて、トレードマーク的な要素を含んでいました。友達にもそれで認識されていたしね。だからこそ、ドナちゃんも言いずらかったんだと思うけど、それでもオシャレなメガネを掛けてほしいと思ったんだろうね。当時、これが受け入れられなかったら、別れてもいいと思ったくらいの覚悟で僕に言ったらしいからね「メガネを変えてほしい」って。
ちょうどいいタイミングでエンジのメガネが壊れたということもあって、「せっかくだから!」ということで楕円のフレームに変えたのでした。
それで5年くらい経って、そろそろまた違うメガネにしようかな、という気分になったのです。
当然、僕の一存じゃ決められませんから(笑)ドナちゃん同行で選びました。
毎日、ずっと使うモノですからね、微妙にセンスが違うんですよ。1時間くらい掛けてお互いの妥協点を見つけて、、、
そしたら、昔掛けていたのに近くなりました。でも、結構オシャレだと思いますよ(*^^*)




7月4日(火)「また、“終わりなき旅”が始まるのか?(笑)」

先週、珍しくウチの社長と飲みました。はじめは顧問も同席で。
社長とサシで飲むのはひさしぶり。っていうか入社してから初めてです。場所は、前に飲んだとき、つまり入社のとき、「スズキさんは、ヒゲを伸ばしたら、似合うかもね」と言われたお店だ。
で、僕はその採用条件をのみ(笑)、ヒゲを伸ばし、今日に至るワケです。
社長は普段、この店で飲むのは、会社の上層部、まぁ、15人くらいの会社じゃ、上層部も何もあったモンじゃないが、古くからいる人や、いわゆるNO.
2と飲んで、会社の方向性などを話しているようでした。

僕はもともとそんなモノには、興味がなく(^^;)、ましてや入ったばかりでしたからね。ただがむしゃらに仕事をしてました。

そしたら、なんだか最近、僕の売上げがいいらしい。
もともと、会社に付いていた顧客を伸ばしたというカタチなんですが、最近では、安定し、No2に迫る勢いらしい。
さらには、この秋からレギュラーでやっていた仕事が増える傾向にあります。
その仕事が入ると、ヤバイ!
ヘタすると毎晩徹夜になってしまう。身体がもたなくなってしまうし、壊れてしまう。

だから今から色々とそうならない手段を考えているわけです。その仕事を受注したら、会社的にも大きな柱になる仕事になっていくでしょう。

そうなると、社長や顧問も僕を無視できなくなってきたというか、、、まぁ、別に無視されていたわけではありませんが、会社的に取り込んでおきたいと思ってきたのでしょう。(^^)
社長の分析によると、僕の良さというのは、素直だったり、正直だったりすることらしい。

ハタチくらいの男の子ならともかく、40過ぎた男をつかまえて、その評価はどうなのかなぁ??
ま、当たってるケドね(笑)

そしたら、予想外の展開!
なんと、NO2が社長に内心、反旗をひるがえしてる。。。
あわよくば、社長を失脚させようと考えてるらしい。
オイオイ!どーしたんだぁ!?
あなたがゆくゆくはこの会社を引き継いでいくんじゃなかったのかぁ???

確かに頭の切れる人なんです。僕によく小言を言うけど、根本は面倒見のいい優しい人なんです。
経営者的には、社長より上手かもしれない。ただ、社長ほどのカリスマ性はないんですが(^-^;;)。

こんなふうにNo2は切れる存在だから、逆にいうと、社長や顧問の手の中にはいないんですよ。

そこに僕の存在が浮上してきたということでしょうか。

僕だったら、素直だし、手なずけられるんじゃないって思っているんじゃないのか?

そういう思惑があるんじゃないかって。
オイオイ!アンタらがどんなふうに俺を見てるかしらないが、そんなに俺はカンタンじゃないよ。
単純に見えるかもしれないけど(実際、単純だけどね)、結構、ヤッカイだぜ!

俺の基本はROCKなんだよ。長いものに巻かれたりしないんだ。自分で違うと思ったら、どんな流れであろうとハッキリNO!と言ってしまいます。
それで会社の雰囲気が悪くなろうと関係ない(笑)。自分の意志を尊重します。。ある意味、No2の方がそういった分はわきまえてるかも(^^;)


そういえば、最近、No2の様子がおかしいんですよね、僕は僕で目いっぱい忙しいのに自分の仕事に絡めようとするし。

で、もし俺がいなくなったら、この仕事を誰が引き継ぐの??なんていいだす始末。

なんだかなぁ〜〜


それと平行するように色々な事実がわかってきて、、、、まず、グラフィックデザインの制作で入ってきた人は試用期間が終わる先月末でやめていったし、他にも主要な制作の人たちが年内にもやめたがっているという。

こんなガタガタな会社だったとは!!!

自分的には、夜遅いけど、居心地のいい会社だと思っていたのに。。。

どうなっていくのだろう??


またまた、新しい“旅”の始まりとなってしまうのかぁ???(苦笑!)


6月20日(火)「文花的な生活♪」

最近、週末の過ごし方がかなりワンパターンになってきました。

土日のどっちかは、なるべくプールに行くようにしてます。一週間の仕事の疲れがそこそこほぐれます。(^-^)ひと泳ぎするとかなりリフレッシュできます。先週末は金曜日、夜中の2時まで仕事をしてたんで、かなりのストレス!さっぱりはしたものの、疲れは抜け切れませんでした。

この日の昼は、ドナちゃんと自転車教室です。
ま、要は、ドナちゃんの自転車乗りの練習に付き合うっていうか、その間、、子供と遊んでいるっていうか。。。
ドナちゃんは、クルマは運転できるんですが、意外にも自転車に乗れないのです(^^;)
東京の生活だと、クルマに乗れるより、自転車に乗れる方が便利でしょ!?
っていうか、まずは、自転車じゃない??
というワケで週末ごとに練習しているんですが、思ったよりちゃんと乗れるんで、ちょっと安心してます。普通に走ったり止まったりはできるんですが、とっさの場合の対処方法。普通に狭い道で自転車や人とすれ違ったりしますし、急にクルマ、ひとが飛び出してきますからね。そのあたりは、時間と経験の問題なんで、序々に。

近所に大小の公園があるんで、そこで子供を遊ばせているんですが、色々な発見がありますね。まず、なんでも遊び道具にしてしまうこと。
例えば、グランドと道とで段差があったとしますよね、そこをピョンピョン昇ったり、降りたりでもう、遊びになってる。公園なので、道に木の実が落ちてたりするんですよ。それをつぶしてみたり。
つぶすと、手がムラサキ色になったりするんですよ。ブドウみたいな実。
その手でちょっと顔などをこすったらタイヘンなことです。顔中血だらけ!みたいになる。
それを自転車の練習を終えたドナちゃんが見て大騒ぎしたり(笑)
結構、おもしろいです(~-~)

ちょっと



木の実を拾ってる図。この段差で30分は遊べます♪


夜は、いま、ドナちゃんのホームページにギャラリーのコーナーを作っていて、、
ビーズアクセサリーのカタログみたいな感じなのかな。
時々、ネットをたどって、「ウチのお店において頂けますか?」というように仕事につながったりするんで、
取り合えず、作ってみました、といった感じです。
日曜の夜中にアップしたんで、興味のある方は見てくださいね♪

今日は、ドナちゃんのモノ創りの友達が遊びに来ていてて、子供を寝かし付けたあと、ふたりで「新作の作戦会議」を開いていました。ウチに来るのは、ほぼ1年くらいだけど、同じモノ創りの仲間なら、そういった時間的距離感はまったく関係ありませんよね。広明さんと「G-U」を創ってる頃を思い出してしまいました。
そして、僕は部屋で食事を取り、こうしてパソコンに向かい、日記を書いています。

ちなみに今日のおみやげは、撮影で使った枝付き枝豆です。(笑)枝付って結構高いんですよ。ひと枝600円しましたからね。野菜として考えたらかなり高価なものですよね。
レギュラーの仕事でスーパーのチラシの撮影をやってるんで、時々、へんななものを持ち帰ります。
それではまた。

6月15日(木)「HOW TO DREAM ?」

今、仕事である企業の会社案内の制作依頼を受けています。
と、いってもまだプレゼン段階なんですけどね。(^^;)その中でリクルート向けの会社案内、つまり大学の就職課や学生対象の説明会に配布する会社案内を作ってます。ウチの会社が仕事として取れるかまだ全然わかりませんが、プレゼン用に作った会社案内の表紙に来るキャッチコピーがタイトルにもなってる「HOW TO DREAM」です。
直訳すると「夢見る方法」となるのですが、どうなのかな?学生向けのメッセージとして、ちょっと気恥ずかしい気もするんですが。。。

ちなみにこのコピーを考えたのは僕ではなく、この仕事をウチにフッてきた印刷会社の方なんですが…。
なんでもその人が以前勤めていた会社で和気相々として働きやすい会社と言っておりました。退社した今でもそこから印刷の仕事をもらっているということは、その関係からもうかがえます。
その人に言わせると人間関係もギスギスしてなくって、自由にやらせてくれるし、やりたいことが見つかれば、こんな働きやすい会社はないと言ってるくらいですからね。
じゃ、なぜやめたの?と思う方もいると思うので、補足すると、結婚を期にその奥さん(つまり娘さん)のお父さんが経営する印刷会社を手伝ってほしいということがあったらしいです。

で、本題です。
いま、自分に「夢って何?」って問われてなんて答えるのかな?って思ったんです。
なるほど、20代前半の学生に「夢」という問い掛けはありかもしれませんね。
ていうか、僕は、20代の頃、「夢」というコトバの最前線にいました(笑)

夢…つまり儚い、叶うかどうかもわからない将来性も実現性もまったくわからない不安定な世界の話です。
僕の場合は一応、大学に行き、4年間のうちに自分が漫画家になれるかあきらめるかを決めるの猶予の期間でもありました。4年あれば、結果も、気持ちの整理もつくだろうと考えたのでした。
で、4年経っても、、、あきらめはつかなかったんですね(笑)

大学4年の頃は、月イチくらいで漫画家のアシスタントをしたりしてね、たまたま恵まれたバイト先で学生時代、ずっと働いていたんで、喰うだけなら困らなかった。
それじゃ、好きなことを!と大学卒業してもそのままバイトは続け、漫画描きながら、投稿をしていました。いま、振り返ると後先は、丸っきり考えていませんでしたね。考えていたのは、25歳まで好き勝手やろう。28歳には、漫画家になっているか、別の仕事に就いているかのどっちか
よくそんな話を酔っ払いながら、高校時代からの友人・水谷と話していました。
で、実際25歳から28歳まで、僕は漫画家のアシスタントという仕事に就くことができました。
それも石ノ森章太郎という超ビッグなスゴイ人のアシスタントを。そこに至るまでは、偶然にも息子さんで現在は役者として活躍している小野寺 丈くんと友達になり、一緒にライブに行き、夢を語り、etc…
下村誠さんと出会ったのもこの頃ですね。そして90年代に入り、下村さんの特集を!ということで意気投合した堀込広明さんと雑誌「G-U」を創ったり、、、
つまり色々な人との出会いから僕の人生は繋がっていきます。

そう考えてみると、僕はかなりアウトサイダーですね。っていうかスーツとか着ていても、根元はやっぱ、カタギじゃないですよね。
30代後半になってドナちゃんと出会い、途中、会社が倒産したり、病気したり転職したりして、と色々あって、結婚してるんですけど、やっぱり根本は変わっていない気がします。
やっぱり、好きなことをしている。

その方が自分らしいしね。

でも、子供が生まれてから、少しずつ変わってきました。
自分たちの自由や趣味・主張。それよりも大切なものが出てきた。
子育て。
僕たちが作った命。最悪のの場合、もし自分たちがしくじってしまったら、死なせてしまう。
そんな儚い存在。そんな儚い命。
だからこそ、ふたりで衝突することもしばしば。


どうしたって子供優先の生活になってきます。いや、ならざる得ない。



でも、これまで自由に好きなことをやってきた僕らにとっては、確実にストレスとなってきます。。。

でも、仕方ないのかな?
そんな中、あえて自分自身に問いたい質問がある。


あなたの夢ってなに?

もう、40代なんで、絵空事を並べる気にもなれないです。
でも、やっぱり自分中心。夢なんか気恥ずかしくって語ってられないけど、自分の好きなことはやっていきたい。それが仕事でも、プライベートでも。
外れていようと、入っていようと、我が道を歩いていきたいっスね。






5月28日(日)「新宿〜フリータイム!〜」


今日はドナちゃんから「自由にしていいよ!」というお達しがあったので(笑)、久々に新宿に出掛けました。どこかに出掛けようと思ったとき、亀戸、錦糸町はしょっちゅう行ってるんで、あんまり出掛けた気分を味わえない。じゃ、どこか?と考えたとき、一番最初に思い浮かぶのは新宿でした。新宿という街は色々と馴染み深くってね、仕事でも5〜6年、働きました。友達と集まって飲むのも新宿が多くて、よく紀伊国屋書店のエスカレーター付近で待ち合わせしましたよ。久々に行ったら、となりのビルがビックカメラになってた!(*0*)
東口中心に紀伊国屋書店付近をぶらぶらと歩いたワケですが、結局のところ、立ち寄る店っていうのは、決まってて、紀伊国屋、TSUTAYA、ビックカメラ、、、これじゃ、新宿来てる意味ないじゃん!と思うのですが、ただ歩いているだけでも刺激にはなりましたよ。メガネスーパーの店頭では店員がヒップホップの曲に合わせ、呼び込みをラップでやってました。店のイメージアップかダウンかよくわかりませんが、新宿なんだからいいんじゃないかな〜。
新宿に来た理由というのが実はもうひとつあって、友人・水谷の新しい仕事先がここ新宿なのです。
ビール会社系の和風居酒屋で働いているんだけど、5時半くらいにお店に着いたんだけど、さすが新宿。半分くらいはうまっていた。水谷も「今日は人が足りないんだ」と言い、せわしく動いていた。
取り合えず、元気そうでなにより。
長崎の漁港から直送の魚が売り物らしく、メニューには聞きなれない地魚の料理が並んでました。せっかくなんで関東にはまだ入ってこないという野母ん鯵の刺身と五島列島産、あご(飛び魚の幼魚)の一夜干しを頂いた。東京じゃ食べれないものが食べられる、それだけでポイント高いですよね。特に野母ん鯵の刺身では長崎醤油と五島列島の自然塩水というものが出てきた。お好みに合わせて刺身に付けるらしい。少しうすめの塩水は野母ん鯵のこりこりした食感にぴったりでした。
地酒も色々揃っていて地酒カップフェアなるものをやっていました。八海山とか天狗舞とか、、、へぇ〜、ワンカップ酒であったんだぁというちょっとの驚き。中でも興味を引いたのは以前、柴又に住んでたとき、よく行ってたとんこつラーメン屋の店長が「こなきじじい」の日本酒があって、なかなか手に入らないんだけど、美味しいって話を聞いていました。結局、飲む機会のないまま引っ越してしまったんですが、それがココにあったのです!
コップ酒ということで多少は味が落ちるとは思いますが、取り合えず、飲んでみなければ。人が美味しいというものは取り合えず気になる性分なもんで(^-^)
メニューには純米酒・超辛口と書かれていました。純米酒ならあまりはずれはないでしょ!?
ひと口飲んでみた。
うん!いける。取り立ててくせはないけど、フツーに美味しいと思える。ワンカップなんで、180mlあるし、これで580円は安いナァ。。。

よう怪泣かせの超辛口「こなき純米」。


生ビール2杯飲んで、ワンカップ飲んだら、ちょっといい気分♪
7時くらいになり、お店も満席ってきたので、今日はこれで帰ることにしました。
帰りにドナちゃんへのおみやげに中村屋のイチゴスフレロールを買いました。来たとき、店頭販売しててすごく気になっていたのですが、ケーキ持ちながら、ぶらぶらするのもね〜。スフレだけあって、かなりしっとりしていたけど、あんまり甘くなくって美味しかったけどね。これはこれで、アリかな。

前日の土曜、ウチの用事で1日つぶれちゃったんで、ドナちゃんがくれた自由時間。
ドナちゃんとは新宿に、よく結婚式の準備で来てたなぁなんて思い出したり、ベビーカーで来ている若い夫婦が気になったり。友達と来たりしてたら、そんなことないのだろうけど、ひとりで来るとそんなことを考えてしまいますね。
それでもやっぱり、この自由時間は大切にしていきたいと思ってます。
子供を含めた家族の時間が大切なのは、誰でも必要だとわかると思う。でも、それと同じくらいひとりきりの時間もふたりの時間も大切だと思います。不思議がる人もいると思いますけどね。(笑)




ビックカメラができたある夜の新宿




5月19日(金)「牛乳の危機。」


更新が途絶えてしまいました。特に何があったというわけではないです。むしろあんまり書くことがなかったかなぁ。(笑)
そうそう、気になるニュースといえば、牛乳が売れてないんですってね。。これは、牛乳好きのスズキ家にとっては聞き捨てならないです。どれだけ好きかというと、まず、スーパーなどで新しいパッケージの牛乳を見つけたらまずチェックします。ジャケット買いならぬ、パッケージ買いです。

でも、大抵ハズれます。
っていうか、ウチのクオリティはめちゃめちゃ、高いです。今まで、多分50種類以上の銘柄の牛乳を飲んでいますが、満足のいった牛乳はたったの2種類しかありません。

「おいしい牛乳」?あのどこが美味しいのか?あの程度のモノを作っておいてどのツラ下げて美味しいといえるのか
責任者と話がしたいです。
明治も森永(森永は、さすがにまずいと思ったのか現在、見かけない)も、むしろ、うすくってまずい。
最近、メグミルクの出した「牛乳が好きなメグミルク」。元雪印のくせになんて挑戦的なネーミングなんだ!と思い、思わず購入。
確かにほかの「おいしい牛乳」と較べたら、コクは確かに感じました。しかし、牛乳本来の旨み、自然な甘みは出せていない。
本当に美味しい牛乳は、そのまま牧場からもってきたんじゃないかと思うくらい牛乳本来の味が飲んだ後、口いっぱいに広がっていく。。。これ、ホントに生乳かな?と思うくらい。
乳脂肪分が高いかといって、美味しいかというと、一概にそうでもないんです。確かに、乳脂肪分4.4%のメイトー「しっかり濃厚」は確かに濃くて美味しいけどね。コクがあるのはいんだけど、勢い余ってちょっと甘いんだよね。
美味しいんだけど、時々、牛乳、飲んでるんだか、溶けたアイスクリームを飲んでるんだかわかんなくなる(笑)

それじゃ、美味しい牛乳って何?って話なんですが、近くのスーパーで扱っていた「野口牧場牛乳」200円くらいで買えるんだけど、これが美味しかった。それと別のスーパーで取り扱っていた「房州酪農牛乳」。これは150円くらいだったけど、これも美味しかった。なぜ、過去形かというとそのどちらも現在は取り扱っていないから。
「野口牧場牛乳」なんてホントに美味しかった。牧場からチョクに持ってきてんじゃないかっていうくらいひと口飲むと、牧場からそのまま!というイメージが口いっぱいに広がってました。(ま!牧場で飲む牛の乳はホントは少し生あたたかいんですけどね)
なんで、取り扱わなくなってしまったんだろう?
そこにきてこのニュース。
野口牧場はつぶれてしまったのだろうか?
もう、美味しい牛乳は飲めないのか??
牛乳探しの旅は続く。。。

そうだよな〜。自他ともに牛乳好きを認める僕でさえ、1週間にどれくらい牛乳を飲んでるかというと、ハッキリいって週末しか飲まない(^^;)
それのどこが牛乳好き?と思われるかもしれないが、昼は外食だし、会社では、牛乳より、コーヒーを飲んでしまうし、ウチ、帰ってきたらお風呂上りは、どうしたってビールだし(笑)

オイオイ!全然牛乳好きじゃないじゃん!?

イヤ、イヤ!それでも美味しい牛乳は飲みたい。牛乳がそんなに飲まれていないのか?
新聞によると、北海道のある牧場では、捨ててしまっているというじゃないか。
法的に牛乳はペットボトルで販売してはいけないらしい。それが普及しない原因だろうなぁ。
お茶のペットボトル。あれができてから、僕はビックリした。日本人ってあんなにお茶好きの国民だって知りませんでしたよ。
大体、どこの職場でもお茶、水、烏龍茶でしょ!?

僕はといえば、会社でいれたホットコーヒーか、紙パックのジュースか炭酸。たまに牛乳を飲んだりすると、「健康的ですね」などと言われたりする。。。(^-^;)

そうだよな、牛乳、飲むひとなんか見ないよなぁ〜。

ヤバイね。このままいくと日本から牛乳がなくなってしまう!(なくなんない、なくなんない♪)
これから、率先して牛乳を飲んでいこう!
美味しい牛乳を探し求めるんだ。。

…そして、、太るかも。。。






5月5日(金)「ゴールデンウィーク。」


いかがお過ごしですか?
ちまたでは、9連休だ〜、5連休だと言ってますが、僕の場合、今日、5日は出勤なので、なんとも中途半端なゴールデンウィークになっていますが(^^;)、しかし連休だからといってまとめてどこかに行く予定もないんで、まぁいいか!といった感じです。
4日は1日早い子供の日ということで子供のささやかなお祝いをしました。
今年も去年と同じように僕が子供の節句に着たという衣装(?)を着せました。本人もようやく歩けるになってきて、どうやら歩くことが面白いようです。立って歩くのは人間だけじゃないですか?!
だから僕もうれしかったですね。



しかし、僕の親もよくこの服、とっておきましたよね、40年も前のものですよ。もし、子供が生まれなかったら、どうするつもりだったんでしょうか?というより、そんなこと考えていないんでしょうね。
今更ながら親の愛情をを感じてしまいます。。。なぁ〜んて、本人には照れくさくって言えないですけど(笑)。

夜は、少し時間があったので、ずっと観れなかったブルーススプリングスティーンの1975年のロンドンでのライブDVDをやっと観ることができました。これは「明日なき暴走30周年アニバーサリーアルバム」に付いていたスペシャルDVDで、まさかこんなものがよく残っていたな!という程のシロモノなのです。
スプリングスティーンが流行っていた頃というのは、85年、「BORN IN THE USA」が発売されたころで、僕もよく西新宿のブートレックを扱っているお店に行っては、よくCDやビデオを買ったものでした。特にビデオは、何回もダビングされたのか、カラーなのに色がとんじゃってモノクロになってるし、音も画質も最悪。でも、当時としては、そんなのでも貴重でしたからね。

それが、公式盤で観れるワケですからね。さすがに75年のものになると、当時の流行なのか、やたらと照明が暗いんですよね。ところどころ、赤やブルーの照明を使うときもあるんですが、やはり暗いです。供給電力の制限でもあったのかなぁ???

26歳のスプリングスティーンのライブっていうのは、凄ましいものがあり、すごい迫力でした。
で、観ててやっぱり思うのは、元春はすごく影響を受けているんだなぁってこと。佐野元春のライブの原点があるって言っても過言じゃありませんね。原点を探りたいという方は是非、観てほしいですね。
ついこの前、この75年のロンドンでのライブが単独で(昨年発売されたときは特別付録で単品では買えませんでした)発売されたので、手に入れやすくなったかと思います。

明日は、、いや、今日は亀田兄弟の試合があるんですよね。観たいなぁ。。。。。
それではまた。



4月26日(水)「引っ越しました」

まったく困ったモンです。ホームページビルダーの調子が悪くなりました。どうにも直らなくって、、、文字ひとつも容易に打てなくなるし、リンクもはれなくなりました。結局、解決方法を見つけられないまま、飛び出すことにしました。なんとも情けない。。。(^^;)