日記

nikki The Book of Days. 毎日、のらりくらり書き綴ってます。2002.9月

 

 

2002.9月

冬隣 2002/9/29

先日「冬隣」というメールをくれたヒトがいました。Kanaはその人の感性がやはり、とても心地よいのですが、今日相変わらず上の空で本屋をさまよっていると「京のことのは」と言う京都の独特の言葉を連ねた本を見つけまして、それをぱらぱら読んでいるとそこに「冬隣(fuyudonari)」と言う言葉を見つけました。

「季節を表す言葉はたくさんあり、秋を表す言葉も多くあるが、京都の人間は特にこの「冬隣」という言葉を大切にする」と、そのようなことを書いてありました。

曇りと雨の日々、芳る金木犀と沈丁花、なぜでしょう、今年の秋はとても、とても秋らしいと、Kanaは茫然と思うのです。夕暮れの曇り空、密かにKanaは大好きなのです。少し多めの湿り気がそれでも冷たく静かに身を冷やし、草や花の薫りは水分を含んで一面を覆い、人気の無い住宅街でただただ、心苦しく切なく、それでも、今の季節は今の瞬間は、なんて美しいんだろうと。

だから、冬隣。

 

理 2002/9/29

京極夏彦の読みすぎかもしれませんが、(やっと読み終わった)世の中には理があって、きっと人生はそれに準じているのです。どんなにウンメイをかえようったって望みをかなえようったって、所詮大きな流れでしかないのです。あの人に会ったのもウンメイこの場所に来たのもウンメイ。そして、そのようにしか動けないワタクシもまたウンメイ。自分を変えようとするのもまた、大きな理の中の一つでしかないのです。ただ、そうやってヒトは絡まっていくのです。

唯、悲しい事にKanaの場合は常にソコに自分がいなかった。自分はいるけれども、多分自我はいない。「(自分のために)ヒトのために生きる」とはきっと、そういうことなのでしょう。それは、たとへばヒトの為であるかもしれないけれども、それでは、ヒトは守れないと、今更ながらに気がついたのでした。

そのような訳ですっかりKanaはこわれてしまいましたわ。

もうすこしこのままでいさせてくださいまし。Kana

 

キュルケゴール 2002/9/24

ワタクシはその日ワタクシの人生の半分を失いました。

 

スプートニクの恋人2002/9/24

56億年前からの縁、3ナノミリ秒前の約束、ワタクシは今日あらゆる意味でのワタクシの世界を有限としてのこの世の中で手に入れ、あらゆる意味での無限の中でワタクシの全てを失い、唯記憶にすがることもできずその物理的な痛みと、私の立てる音と血の味と酒の滴りとタバコの匂いとソレだけが真実だと信じて、その全てが偽りだった事に愕然とし先でも後でも無いただ今に至りて、ワタクシは

ワタクシなりの生きることに意味に気付いたのである。私はずっと、まえから知っていた。だから、ワタクシは行かなくてはならない。そうしないとワタクシは生きていけないから。だって、ソレはワタクシノ半身なのだから。

 

バーボン 2002/9/22

久しぶりの店に行ってソコの質が下がっているとがっかりする。昔よく飲んでいた酒がなくなっているとものすごく寂しい。その酒の名前すら知らない新しいバーテンダーがいる事が腹立たしい。ああいずこに行ったのかしら私の「society」・・・スコッチではなくてバーボンのほうですちなみに。

 

あい 2002/9/21

Kanaにとってのアイは求めるものでも奪うものでもなく唯、与えるものであるように。時々得たいとは思うけれども、唯無心に与えるものでありたいと。例えばそれが受け入れられないものでも、必要とされなくても、そんな事を夜中一人で巨大な東京の夜道をを4時間ほどさ迷い歩きつつ思った。

夜も道も人生も皆暗くて長くて先が見えないけれども、時々、夜道を照らす、コンビニやラーメン屋さんの明かりに照らされながら、全てはそういうものだと、そんなことを。目標さえあればたどり着けると、だらだらと、歩きつつ思った。秋の風は恋しい。明け方の風はもう、冬の香りを感じさせつつ。少し肌にしみた。

 

↓下のお店の詳細は9/22のお散歩を見てくださいね。

茗荷谷 2002/9/19

昨日はKana、茗荷谷まで遠征して、ご飯を食べてまいりました。・・・一体何をしたかったのかと申しますと、とても風が気持ちよかったので、夜風を浴びに拓殖大学(以下拓大)までいってきました訳です。拓大は茗荷谷の谷の上に立っていますので、階段を登っていくと6階建てとは思えない高層の展望、更に近くに高い建物が無いために、新宿から、霞ヶ関まで東京の南側を一望できる、隠れお勧めスポットになっている訳です(Kana的に)。更に谷の下から吹いてくる風と今の頃の明るいお月様、東京夜景がKanaのココロを癒してくれます。は〜まったり。

余談・・・そうそう、茗荷谷の駅前には同潤会大塚女子アパートメントがあったのですが、閉鎖されて久しい訳で。先日そのアパートの内部の検証会があったのですが(リンクのページにも紹介している東京理科大学「同潤会を考える会」で)、実施日が全て月曜日だったので応募できませんでした、無茶無茶悔しかったのです。

さて、今回Kanaはとってもステキなイタリアンを茗荷谷で発見してしまいました。くふふ。そのお話はまた次回の講釈と言う事で(古い)

 

草のおもい 2002/9/19

草の上に残る露、何時の間にか日常にいる虫の声。そして何より、芳る草の匂い、この頃は冷たい湿気が夜の帳(tobari)とともに降りて来て、少しいい感じ。コレを寒いと思うようになる頃が初冬なんだろう。晩夏が終わり初秋が過ぎ、今が秋だ。夕焼けに染まる雑木林、武蔵野の秋はきっと、日本人の原風景だとKanaは思うのです。

雑木林の事・・・実は田舎には雑木林が無いのです。農地(特に田んぼ)か山か森のどれかだから・・・。関東ローム層のアンマリ水はけのよくて鬱蒼とした森にならなかった丘の連なる武蔵野だからこそ雑木林は存在するのです。Kanaは子供の頃雑木林に憧れていたのです。子供絵本の妖精(小人人形)が雑木林で遊んでいる写真をよく見て。

 

cho 2002/9/16

さて、昨日のnikkiはKanaが見たある映画の感想です。単館上映だった割に人気が出てしまい、やけにヒトが並んで悲しかったのですが、CMも結構やっているようで・・・

ちなみに下の文は映画の感想と言うより、一緒に映画を見に行った相手とアンマリにも映画に対する感想が違った事に由来します。初めての相手と行くと、映画の感覚もこんなに違うのかとびっくりさせられます。

その映画の名前は「チョコレート」。原題は「monster’s boll」と言う似ても似つかぬ名前の、小編映画です。感想は明日のお散歩を見てやってください。ワタクシ的にはよろしかったわ。

 

 

tyu 2002/9/16

Sutekinamonowo、mituketanokamosirenai、darekani
tottenosorega、onazimonokahawakaranaikeredomo、aitenitottenosorega、ステキなものかどうかは判らないけれども

 

 

 

同潤会10年史 2002/9/15

先日長年の夢である、「同潤会10年史(同潤会発行、一成社印刷)」の原本を読む機会を得た。昭和9年5月23日発行である。戦前の本はそれだけで感慨深いのだが、しかし、撮影の為とやらで本はばらばらにされ(背中の綴じを切り取られているのだ・・・しかも雑に)もちろんコピーも不可むううううう。

例えば複製を作るにしろなんにしろ、本を解体してはいけませんよ。本にペンを入れるのも折ることもKana的には基本的に不可です。何故ってソレは、他のどんな媒体とも違ってそれ自身が完成した姿だからです。表装から、文字列、帯から、何までデザインの賜物なのですよ。特に文字に関しては推敲の結果ああなったのだから、外のヒトがその上から字を書いたりメモ入れたり、ましてはオッタリシテハイケナイノデス。だって、紙はいずれ風化するのですから、それを防ぐのは読む人の心遣いなのですよ。

とKana内容そっちのけで本について語っています、とりあえずソコから出てきた情報はデータベースに乗せますのでお待ちくださいな。次は18年史に挑戦しよう。

 

 

 

蜂 2002/9/15

先週、ラジコンで「蜂のヤツ」、と書いたら、ちゃんと「ホーネット」というメールが帰ってきました。ありがたいことです。ずっと、「蜂のヤツ」蜂のヤツで、出てくるものがツインビーだったので・・・。ちなみにKanaが買ったのはイカルスと言う子でした。ペガサスだったかもしれません。ル・マン360STモーター(今考えると恐ろしい名前のモーターですね。)がついていたのですが、実践で死闘を繰り広げることなく引退しました。何故って、バッテリ-の持ちが15分くらいだったからです。モーターはル・マンでもバッテリーは長期戦向きではなかったようです。今考えても、あの辺りのラジコンは決して子供向きではなかったと思います。だって、箱からして大きかった。無茶無茶重かった記憶しかありません。宝の持ち腐れとはまさにこのことかと思います。
今Kanaがかぶりもしない(似合わないから)帽子集めに夢中なのとアンマリ変わりません。つまり結論から言うと、Kana全然成長していないと。子供のままだと・・・、と言う事は今のKanaにもラジコンは早いと言う事でしょうか?!なんだかドツボですが最終的にKanaはこの話しにオチをつけられるほど大人ではないようです。

 

 

 

人類補完計画 2002/9/9

「人類補完計画」と書いて一発で変換してくれるところがすごく不思議なKanaなのですが(笑)昔夢で人類補完計画とはこうだ、と言う結論を自分で出して至極納得したのだけれどもよく覚えていない。最近コンピュータの P to P (個対個)のネットワークが次世代の主流になるとかいっているのでその辺りから来ているのだと思うのだけれども。あと、コンピュータと脳の関係とか・・・ああ、そうだ、「個にして全、全にして個」だわ(次世代ネットワークの発想)。コレがまかり通ったら、ソレこそ人類補完だと、夢でそう思ったのだ。

何でそんな話しを書くかと言うと、最近「ソフィーの世界」を読んで哲学の話に再びはまっているから。

あの監督は哲学好きだよなと思いつつ。昔の「ナディア」も哲学だったし何よりソコに出てきた「世の中には2種類の人間がいる」とのたまう、伯爵なんて、ステキな2元論者だなと、アンマリ意味はなくそんなことを最近感じた。Kanaはショウペンハウエルが大好き。ニーチェは理解できなかった。

 

・・・ 2002/9/9

「だっちゃわいなー」もしくは「だっちゃわいやー」・・・昔聞いた覚えがあるんだよな〜とおもいつつ、誰の台詞かは忘れているので今夜も眠れないのです。

そうそう、アバッキオって誰だっけ?アルフヘルムってどこだっけ?グラスホッパーとマイティフロッグと後一台なんだっけ?ホットショットじゃなくてさ。あの蜂のヤツ。

おかしいなぁ・・・ムスカ大佐の本名ならすらすら言えるのに。もちろん復活の呪文も。リテ・ラトバリタ・・・

 

発見 2002/9/9

お仕事で国立国会図書館へよく行くのですが、こっそりその時、探すのです。本の検索で「同潤会」と・・・すると出てくるのです。あの幻の「同潤会十年史」及び「同潤会十八年史」が、は〜あぁ。いつか読んでみたいと思いつつ。仕事中にそんな事できないのであります。

 

大切な事 2002/9/8

最近、首相の訪朝だったり、イラクへの武力攻撃だったり、住民基本台帳ネットだったり、原発の破損隠蔽だったり・・・、何が正しいのか正しくないのかすらはっきりしない事が多いのですが、そんな時に一つの基準を持って欲しいのです。
「美しいかどうか?」そしてたくさんたくさん議論をして欲しいのです。

何を持って成すのか、ソレはヒトとしてなのか、それとも社会や企業政治的欲望から来るものなのか?
例えばアフガンの支援復興はどうなのか?アフガンの為なのか復興支援国のものなのか?答えの無いものは多いけれども、でも、議論しなくてはならない。考えなくてはならない。

高速道路もそう。住基ネットもそう。消費税もそう。決まったから、仕方ないではない。どうしたいのか、どうするべきなのか、何ができるのか?街頭で叫べと言っている訳ではない。政治家になって国を変えろと言うことではない。ただ、何もできないのだから、決まったのだから従え、と言うものではない。
国民にできるのは、何が正しいかを見極めて、議論し選挙で自分の求める政治家を選ぶと言う事、そのためには正しい目を持って欲しい。「真贋を見分ける正しい目」をもって欲しい。

そして政(maturigoto)を行う人間には「美しい心」をもっていて欲しい、社会を作るのは人間だから、美に裏打ちされた、美しい社会を、後の世に「文化」と言われるような政治を行った欲しい。

大国では武力攻撃で多くのヒトが死ぬ事を必要だと言う人間が政治を行っている。ソレが、不景気や選挙対策や、兵器産業に配慮したものではないのかと、思われるような政治を行ってはならない。ヒトの論理の前に社会や企業の利益があってはならない。そのような人間は美しくない。

 

 

風 2002/9/8

少し風が涼しくて、昨日降った雨の後がちらほら残ったりしているところが、ちょっぴり秋かな、なんて思ったりして。先日まで水溜りなんてあっという間に蒸発していたのに。

風に冷たさが入ると少し胸がきゅんとします。空が曇っているとなおさら、雨上がりで風に湿り気があると更に、ドキドキ感に深みが増します。今日は後で自転車で海辺まで走ってみることにします。

この頃になるといつも、コートを着た渋谷の群衆と、その奥にある露西亜料理屋さんを思い出します。Kanaいつも食べ物の事ばかりかよ・・・と言う突っ込みは無しです。

秋は早い夕暮れと、長い夜と、少々肌寒い街歩きと、あったかいお店を存分に楽しめる季節なのです。

 

アナログ 2002/9/2

団地迷宮が立ち上がって気がつけば随分たちます。最近デジタルの先を求めて、ミユル堂なんかに通いつめてKanaが見つけた新しいコンセプトは実は紙です。実際の紙焼きの写真や地図のほうが、なんだか団地をさまよっている気分になれるのではないでしょうか?最近お仕事でそんな事をやっている性かもしれませんが、そんな訳でKana豪気なものを作ってみました(「そりゃー豪気じゃのう」byポムじいさん)。名づけて「団地迷宮お散歩ファイル」


内容物一覧


1.Kanaが撮った同潤会の写真全て(100枚ほど)。
2.それに伴う説明文及び説明地図
3.地図 各種
4. 最後の防火訓練のお知らせとか余計なもの
そんなこんなでファイル20枚40ページほどになりました。

でも、まだ手に入れるべきものがあって、設計図とかその辺り手に入れられそうなので、ドキドキしながらその時を待っているのです。(しばらくかかりそうなのですが・・・)そんなかんなで、とりあえず紙メディアにも対応して、皆さまに同潤会を・・・って・・・制作に使うのはヤッパリパソコンなのでアンマリかわらないような気がするKanaなのでした。販売でもしようかしらと思ったのですが、アンマリにもコストがかかるので。とりあえず、ピッタシカンカン番号get様へのプレゼントとして考えています。あいかわらず自己満足かしらと思いつつ。いつか人目に触れる日を夢見て。

 

 

分かりにくい 2002/9/1

最近Kanaのページはだんだん分かりにくくなる、と言われて少し迷い気味のKanaなのでした。Kanaページは分かりにくさが売りなんだけど、FlashやJavascriptが不完全なせいか見れないと言われてしうのは、Kanaのもんだいだもの。

作りたかったのは底の深さなのに、全然深くないし。重いし、最近逆にユーザビリティに突出したWebページをつくってみたいなと思うのでした。

お友達がお仕事でレストランのページを作っていました。パッと見ふつーのページなのです(失礼な)。けれどもソースは練りこまれているし美しいし文字は大きめでalt属性はしっかりしているし、なんといってもイメージマップを使っている。(イメージマップは画面の画像の一部分とかにリンクを指定する方法)・・・お仕事とはこういうものだとKanaは深く思ったのでした。

Kana立ち返ります。コンセプトシートですよ。初期発想です。「団地迷宮」は 何のページ?・・・ソレは同潤会代官山をみんなに紹介して・・・で、なんかその他諸々ステキなものを紹介して、青山アパートを、お茶を、空の写真を、お散歩の風景を・・・駄目かもしれない(笑)

 

表でお茶をするということ 2002/9/1

夏の終わりを感じさせるもの。東京湾に浮かぶ入道雲。休日の朝、起きるとき肌を吹き抜ける幾分涼しげな風。 セミと秋の虫の入り混じった声。店先に並ぶお芋やカボチャや栗のケーキやプディング。そして空調を切って再び店先に並ぶテーブルや椅子やベンチ。

・・・秋がきたら、また表でお茶ができるのですよ!!!。しかもハロウイン前後なんて、カボチャ三昧なのですよ。もっと寒くなったら、ストーブとブランケットはおって、ヤッパリ表で熱いコーヒーを飲んだりできるのですよ。うう〜ん待ちどうおし。くふーー(Kana興奮)

ヒトに「君は形が好きなのかい?」なんて言われても、いいのよ。形から入ろうが何しようが、実行しないと味わえないんだから。涼しい表のベンチに座らないと秋の風をゆっくりあじわえないでしょう?目の前を流れてゆく人並みを眺めて、みんなが少しずつ冬支度の格好をしているのを実感したり、紅茶は熱いほうがいいと思ったり、何も無い自分を感じたり。隣に誰もいないことを感じたり、誰かと一緒だったら一緒にボーっとしたり。

表でお茶をすると、世の中にいつつ、切り取られた空間の中で自分と世の中の風と対比して感じる事ができるのが好き。そんな訳で秋はお茶を飲みに行こう。表でテラスに座って、風を感じよう。

 

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(c)Kana AKD 2002 団地迷宮