いつまで紅葉なんだよ(トップページ)と責めないで。Kanaです。
(続きはまた明日)と書いてはや3日…
==前回までのアラスジ==
とってもステキな感性に出会いました。そして最近のKanaは全く感性から離れた場所にいることに気づかされたのでした。以下は決してまとまらないKanaの頭の断片です。
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Kanaが今やっている仕事はデザインだったはずだけど、いつのまにかロボットのようにひたすら、ただひたすら量産しているのだと思う。それは考える事を忘れ、ひたすら経験に基づいていかに速く「それっぽいもの」を作るかという世界…自分ひとりでは麻痺して今回も(悪い意味で)切り抜けてしまっていたなと思った。今回は切り抜けなかった…切り抜けられなかった。ずっと、いろんな事を考えていたから。今の仕事で得たこと失ったことを考えていたから。今回は切り抜けられなかった。
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デザインは、普遍的で時代的で俗っぽくてみんなが求める形の1歩だけ先にあるもの。究極の行き着く先に制作者の個性は不要かもしれない。時代の中に偏在するもの。
アートは、その人が生み出す形。その人のみが満足できれば完成してしまう世界。それ自体が魅力で人をひきつけるもの。時に時代を変えていくもの
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写真を見るときは、被写体や、撮り方が気になってしまう。
Kanaがココロ打たれてきた写真はKanaのココロの原風景に近い写真でしかなかった。。
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先日書いた「Kanaは真ん中しか見ていなかった」の意味
「作品の先にあって前にあるもの」
それは作品を作っている作者であり
その作者の意図
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今は一番弱っている自分。休みの日洗濯して、ボーっと空を眺めながら「感覚」を考えていた。写真をみても絵を見ても雑誌を見ても「構図」とか「技術」とか今はそこばかりが気になることが多い。なまじっか作るから気になってしまう。
その人は「私は何も創れないから」といっていたけれども、創らないから「見て感じる」のだろうし、そこに筋の通った価値観があるのならば、それは自分を持っていることだと思う。そして時にそれは創ることよりずっと大きくてずっと前面にあったりするのだ。
「見て感じて探し出す力」
Kanaはいつそれを置き去りにした?
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言葉は武装、感性は魔法。
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倒すべきドラゴンがいればいい。
不毛の大地よりずっといい。
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