教室の隅からふとクラスの喧騒を見渡す時のような感じで、自分にとってステキなものが年を経てますますステキになっている事実を目の当たりにするとき。少し遠い位置でそれを見てこれた事を幸せに思います。お誕生日おめでとう。いつあった時もあなたはその時が一番ステキになっています。↓今日は下にnikkiです。

 

 

 

 

 

とり

大江戸線の車輌の中でかすかに鳥の声がします。とてもキレイな声で、鳴いています。おおきな伊勢丹の紙ブクロを持ったおじいさんがワタクシの隣に座りました。小柄でニコニコとした笑顔のおじいさんです。手の甲のごつごつした感じが何かしらの重労働にたづさわっていた過去を想像させます。しきりにフクロの中を気にしています。ニコニコしながら中を覗いています。よく聞くと、どおやら鳥の鳴き声はその紙袋の中から聞こえてくるようです。ぴよぴよと鳴いています。ワタクシがそっと中を覗きこもうとした時。おじいさんはこちらを向いてそっとフクロを開きました。

中には鳥籠が入っていました。そしてその籠の渡し木に見たことも無い美しい鳥が入っていました。

少し離れた場所の人達はどこから聞こえてくるのか分からない鳥の声に戸惑いながら、側にいる人たちは、紙袋の中身を少しだけ気にしながら。ただ、おじいさんはソレが楽しくてしょうがないような感じでニコニコしていました。

しばらく隣で色々考えました、はて、あの美しい鳥はなんぞや・・・?籠は中国風でした。香港の店頭に吊る鳥籠のよう。その鳥の正体を確認すべくKanaはもう一度、フクロの中を見入っているおじいさんの脇から鳥籠を覗き込みました。

そして、その時、Kanaはおじいさんのニコニコの本当の意味を知ります。

鳥は作り物でした。籠と鳥はそれで一つの玩具で、その籠の中で鳥の人形はくるくる回りながらピヨピヨと言っているのです。とてもきれいな声で。

Kanaも思わずニコニコしてしまいました。おじいさんのニコニコの意味は多分Kanaだけが知っています。
なんてステキな秘密なんでしょう。みんなは、それを本当の鳥だと思っているのです。おじいさんはみんながそう思っていることが嬉しいのです。地下鉄に鳴く鳥の声は、すごく不思議で妙な非現実感。

これはKanaの勝手な想像ですが、ひょっとしたらあのおじいさん、鳥かごを持って時々電車に乗っているのではないかとそう思うのです。

 

ションヤンの酒家

思ったことをとりとめもなく書きますね。

テーマはやはり家族だと思うのです。ションヤンが求めてやまないもの。途中兄嫁に言った「あなたは他人」とか父の再婚相手を嫌うくだり。対比するように自分の店の名前が育ててきた弟の名前だったり、長男の子供を溺愛する仕草は「血」のつながりが彼女にとって如何に大事かと言っているのだとKanaは思いました。その上で彼女には家族がいない。兄は嫁の家に行き、父は義母の元へ、育てた弟は厚生施設へ。長男の子供も自分のものではない。だからこそ彼女は形としての「家」に非常にこだわり、家の所有権をめぐって争うのだと。それが生活の根底・・・ちがうなココロの根底にあるのだと思うのです。しかしながら、ソレが実生活となんら関係ないのは一度もその家が映像として現れなかったことが示しているのだと思います。長男にとっても弟にとっても、多分父親にとっても、その争いの元になっている「家」はそんなに重要ではないのでしょう。それが逆に彼女に拍車をかけるのでしょう。感情ではなく、感覚としてエコノミックな部分で彼女を一番理解できた(というか近い)のは、やはり一年間通い続けているあの社長なのかしらとも思いました。

家とおなじくらいアイシテイル弟。一つには母性なのでしょう。働いている女の子を別の男と結婚させたのはただ純粋に渡したくないという部分があったのだと思います。働いている女の子は彼女にとっては大切でも血のつながっていない他人なのだと思います。

大学。彼女が憧れてやまない大学、それは先生の息子が行って壊れてしまった場所だし、彼女の旦那の行っていた場所です、ションヤンが女の子を結婚させた理由の一つに彼が大学生だったというのがあると思うのです。でもきっと先生の息子は母親に本当に過保護に育てられたのだと思うのです。幼いのです。英才教育されて、甘やかされて育ったのです。だから一つの失恋にも立ち直れないのです。その立ち直ったすがたが女の子のあおあざなのです。きっと。

全てがソフトなフォーカスでとられているせいで幻想的ですが結局何一つ上手くは行かなかったのです。弟はきっとまた出て行ってしまうのでしょう。女の子は、子供を産んだ後に辛い思いをするのでしょう。彼女が苦労の末取り返した家にはたぶん何の意味もないのでしょう。すべてがあの街のもやに飲み込まれる昔話のような感じなのです。

おじょうとは逆にワタクシは彼女の最後の涙が、つかめない幸せが痛かったのです。つかもうとしなければ、ただ、淡々と流れる毎日。彼女が高いところからあの街の光を見下ろすところ。あそこにしか世界がない、といった感じがとてもセツナクテ美しくてスキでした。

よい映画に会えました。サンクスです。

 

例えば100本のバラの花なんてとても無理なので、お花をたくさん画面上にアレンジしてみました。

一応Kanaのサイトらしく渦巻きは同潤会アパートの物干し竿をかける鋼のフックをモチーフにしてみました。いかがなものかしら?

追伸

アップルチョコは母親が喜んでいました。

 

←2004.2月