nikki The Book of Days. 毎日、のらりくらり書き綴ってます。

 

2006年1月nikki

震災・義援金に関するページ

日本赤十字 http://www.jrc.or.jp/

 

06/1/31 叫ぶのはむしろオレ(古い映画風に)

会社で関西の女性の方に
「ムンクの叫びとか目が飛び出してるとか蛭子さんの漫画みたいな絵で『激アツ!ゲームコーナー』みたいなポップ作って」
とそれはKanaを挑発するような依頼を受けましてね。それは関西テイスト満載ですね。かなりベタなのを希望されてらっしゃいますよね。

しかし、ナニブン、Kana花をトレースするのが好きな男の子ですよ。可愛い女の子や針穴写真を愛する繊細な男の子ですよ。(←嘘、おっさん)
そのKanaになんて注文をつけるのでせう。

それにしてもまさかパスで「目の飛び出て充血して驚いてる人の絵」を描く事になろうとは アドビの人も驚きでしょうね。イラストレータをこんな使い方しているのはKana位のものではないでしょうか?ひょっとして世界初?!

いやだな〜

いやだな〜

とりあえず、

目が飛び出すだけじゃ迫力がないので頭から火山噴火させてみようか。鼻から鼻血でそれがそのまま文字につながっていく感じで、指は関節にしわを入れてヘタウマな漫画をイメージして…服と髪型はアレだペリーにしよう。「OH NO!!」とか言わせよう。陰を協調して劇画調にしてみよう。

…こうして花と女の子をコヨナク愛する男の子は禁断の新しい世界の扉を開いたのでありました。

結構よいできになってしまいました。機会があったら載せて見ますね。

 

06/1/30 コンドルズ

昨日は師匠のデザイナーとコンドルズのバンドライブに行ってきました。…コンドルズは有名なダンス集団ですがライブもやっているのであった(師匠のおかげでコンドルズをはじめて知ったのだが)。

わかい女の子の多いこと。

ライブはトークが絶妙に笑えたり、時々どうしようもないくらい面白い歌があったりして、彼らの歌を初めて聞いたけれども、(彼らを見たのも初めてだが)何も知らないほうがかえって楽しめたかもしれない。

「十字架わっしょい」なんてどうしようもないくらい笑えた。説明できない。見たほうがいい。ネタバラシするのがもったいない。そんな曲。

ああ、ちなみに彼らは全部で16曲歌いました。ええ、アルバム聞いてから来ればよかった、とか思っている側から、言ってました。「CDさえ出してないのにみんなよく盛り上れるね」と…アルバムないダンサーのバンドグループが16曲も持ち歌あるってすごすぎよね。機会があれば次回のライブにも行きたいとかなり思いました。お喋りは愉快でしたが、歌自体はかなりまじめです。

Kana今週はダークグレーな毎日を送っております。

それさえなければ、本当に突き抜けて楽しんだのでしょうが、

Kanaここから半年はダークブルームーン月間と題しまして、一人静かにJOJOを読み返したりそんな日々を送ろうと思っています。
どうなの?ねぇいいの?Kana?承太郎君の意見を聞こう!!

←これ昨日のロジパラと同じネタじャん。

そんなKanaに、今一番メールが来ているのはワタナベさんかもしれない
(Kanaさん…そんなにネタ送っているの?!)
ロジパラのわたなべさんは恐ろしい人で、Kanaがサイトにツッコミネタメールを送ると必ず帰ってくるのです。…すごいよ。みんなに返事しているんだもんね。何百通も来るのでしょうに。

ところでKanaさん今日は何の話をしているの?

オチのない日もあります。

 

 

06/1/27 会社の帰りに

博士の愛した数式」を買ってみた。ハードカバーの時からカバーの絵とタイトルの美しさにずっと気になっていた小説である。

詳細はosanpoに書くけれども…言葉の一つ一つに優しさがある。物語の主軸としての「数字」への愛情がひしひしと伝わって、数学嫌いなKanaですら、数学の魅力に引き込まれてしまう。

昔の事故の後遺症で80分しか記憶を保てないたかつての数学博士と彼の部屋に雇われた家政婦、そしてその10歳の息子、3人の交流を、博士の言葉でもある数学を要所要所において優しく穏やかに描いています。
エンディングの予想はすぐできるし、特に波乱に満ちた話題もないけれども、著者の爪弾く美しい文章が、彼らの幸福に満ちた、ささやかな喜びと驚きにあふれた日々と、博士が語る神の糸の様な数字の不思議をキレイに織り交ぜ他に類をみないウツクシイ思い出を作り上げています。

映画の予告編を見たけれども、たとえ、深津絵里がどんなにステキでも、寺尾聰が優れた役者であっても、あの叙情は出せますまい。淡々としていて、穏やかで、時に激しく、時に脆く。

ゆらゆらとした気持ちで読む。そんな小説でありました。

 

 

06/1/25 突貫工事

1/21ミユル堂針穴写真展搬入前日。
Kanaはまだ見せ方を決めあぐねていたのです。更に撮った写真を現像してもらう場所を間違えとんだ時間を食うことに(おのれビックカメラ(ポジサービス)有楽町店当日仕上がりはありませんだと?!)…直で堀内カラーに行っておけば良かった。そんな訳でKanaが選んだのは針穴写真をポジフィルム(スライドフィルムとも言います。ネガフィルムとは反対にフィルムにそのまま色のついている物でヒカリにかざすとフィルムの中に写真がいます。)で撮って、ライトビューアーとルーペで見ていただこう。という物。でもそれだけでは作品として成り立たないので壁にはそのフィルムのモノクロ版を紙焼きしたものを貼って、気になる物をスライドで見てもらおう。というコンセプト。生まれてはじめてのポジフィルムが針穴写真とはこは如何に?という自分ツッコミをしつつ。結構色が出たからよしとしよう。(ポジフィルムとか堀内とかは印刷屋さんにいたので若干の知識ありです。)

こういうものはコンセプトが決まっても、そこからが長くて苦しい物なのです。タイトルとか使い方説明とかイラレで作ってプリント断裁。フィルムを隠す箱を自作するでしょ(不器用なのが辛い)。スキャナ買って来てポジフィルムをスキャンしてモノクロの紙焼きデータ作成からプリント出し、断裁。壁に貼る為の両面テープ、ライトビューワーのための延長コードの買出し、ポジフィルムも自分でマウント(ポジフィルムをそのまま触ると痛むので一枚一枚切って専用のワクにはさむ作業)してみるでしょ。そんなことしているうちに…
1/22日付は変わり、さらに夕方遅くになんとか搬入。いざ搬入してみたら色々想定外で結局設置に1時間くらいかかって、ナントカ完了。

そのあと江古田に来ていたnukunukuさまとK嬢と晩御飯して「ホ〜」っと一息。この絶望週間の中の一服の清涼剤だわ。お二方サンクス。

帰り際K嬢に「これ明日までだよ」とミヒャエル・ゾーヴァの世界展の割引券を渡される。しまった忘れていた!!K嬢…いつもアンタいいトコつくぜ!!

1/23毎日広告賞搬入前日。
朝から銀座伊東屋に行く。先に件のゾーヴァを見ておくけれども午前なのに会場はすっごい人。Kanaはアメリで彼の絵を見てからのファン(詳細はまた)。伊東屋でのお目当ては、白い模造紙。菊全で一枚30円、あと、パネル張りする用のハレパネや小道具としての万年筆、原稿用紙等を物色、あたりをつける。部屋に戻り年末年始に買って置いた毎日新聞をぐしゃぐしゃにして模造紙の上に載せおもむろに撮影。Kanaのテーマは「岩波書店の広辞苑」
1本目は新聞見開きの大きさで「日々生まれ出る言葉」「集約される意味」「綴られる文字」の3つの文字と新聞が広辞苑に集約されていくイメージを作る。
たかだか3行の文字の組み合わせに3時間以上悩み、結局その日は朝4時までそれに悩む事に終始した。この作品はシリーズもので一つだけでは意味がないのに、よもや搬入当日にもう1作品を作ることになるとは…

1/24搬入当日
朝寝坊した。全力で銀座伊東屋に向かい普通のA1パネル(ハレパネは失敗すると危険なので)と満寿屋の原稿用紙 及びwatermanの万年筆 を購入。
更に電車で構想を固めた全7段サイズの単品「昨年の選挙の時 アナウンサーが 「しきゃく」と発音するたびに、顔が赤くなりました。(東京都 32才 主婦)」を部屋に戻り1時間で作成プリント出してパネルに貼ってパネルを切る。
時は既に1時30分

搬入期限は午後5時。

新聞見開きシリーズもの2本目の撮影
部屋を組み替え和風の机に広辞苑と原稿用紙、万年筆、本、タイプライター湯のみ、急須、藍染の敷物、照明などを置きデジカメで撮影…なかなかいい写真が撮れません。こんな時広角のGR-DIGITALを夢見るけど最早そんなお金もなし。

1本目が新聞から辞典に情報が集約される様を描いたけど
2本目は親から子へ手渡される知識、世代を超えて伝えてられてゆく文化という言葉で40年前の広辞苑が現役です、という写真を小道具と一緒に撮って見た。photoshopの照明効果のおかげで思いのほかいい写真になった。

とき既に3時30分。プリント出し開始。
ところが、夜のイメージで撮った写真を使っている所為か、プリントにすごく時間がかかる。A3一枚出るのに5分も10分もかかると新聞サイズが出るのに40分ですよ〜(A3が4枚で一組) 出す側から糊付けしてパネルに貼ってゆく。不器用なので辛い。一度失敗しかけたけど、極限の気持ちの中でナントカ切り抜けた。1回失敗したら多分間に合わない。つまり昨日からの作業が全部無駄に。久々に顔が熱くなりました。

何でこんなにぎりぎりなのか自問自答するけど先ほどのゾーヴァだって「ぎりぎりになると新聞なんか読みたくなる」と言っている。野球だって9回から白熱する。きっとそんなもんだ。と一人でぶつぶつ言ってみる。

Kanaの部屋から駅まで15分ソコから毎日新聞本社までなんと一駅!!パネルを切って包装して印刷の合間に書類を書いて最後のプリントアウトが出た!断裁糊付け貼り付けパネルを紙に沿って断裁、書類を貼り付けウチを飛び出せ!!

時は4時35分駅までダッシュ、後ろから来たタクシーを止め飛び乗る。地下鉄の駅まで下りる手間を省く為そのまま毎日新聞まで行ってもらう

4時53分毎日新聞社到着。恐れも知らず毎日新聞社に全力で駆け込む、フロントのお姉さんにデザイン賞の受付はドコと尋ねると「地下のホールだと答える」

4時57分毎日デザイン賞の受付到着…赤木博士風に「3分差で人類の勝利だわ」という言葉をリフレインが叫んでる(byユーミン)。←最早イミフメイ

……ってなんだかいっぱい人がいる。9回ウラの人はKanaだけではなかったらしい。5時を過ぎてもわんさか入ってくる。Kanaはきちっと書類とか用意して行ったけど、書類を現地で書いている人の多いこと。
そして 受付の後ろのホールには広大な机が広がり、その上に「ココはフランスのサロンか!!」ってくらい作品が平積みにされている。学生が多い。出展料が無料だからというのもあるだろう。
そしてKanaが驚いたのはみんなキンコーズとかに行って、新聞サイズのデータでも一枚の紙で出しているところ、きちっとしたパネル加工を施しているところ。Kanaみたいにお手製でA3を張り合わせて作っているような人はいなかった(涙)作品よりもその接合部が気になるよね…

でもね(ルー大柴風)Kanaざっくりな作りだけどね。感覚やセンスでは学生には負けないよ。そこいらのデザイナーにも負けないよ。自分の中では究極を作っているのよ。(Kanaなりの計算があって、新聞は開いた最初の瞬間は左側のページが目に入るからベースの言葉を左ページに持ってきて辞典とかタイトルを右ページに持ってくるとか、お約束の角度をそろえるとか)

そんな訳で、視力と資力と死力を尽くした闘いは終わりKana大満足で気が抜けたけど、ダメ。今日はこの勢いで東京ステーションギャラリーの「前田國男建築展」を見に行くのだ。時は5時30分。

膨大な量の資料と解説と模型。(これosanpoに入れます)

Kanaは7時閉館なので1時間30分をフルに使って廻ります。結構精神的に限界。ぎりぎりで全部を見尽くし、図録を買って帰ります。

最早精根尽き果てました。なんて濃ゆい4日間。写真現像とか買い物とか入れると一週間。疲れた。疲れ果てました。

そんなKanaを部屋で待ち構えていたのは…

空き巣じゃありません。やりっぱなしのKanaなのです。引き出しとかホントニあきっぱです。 手前の机が撮影用のもの。完成品からこれは想像できないでしょう。4日間片付けはおざなりでタダ制作していたので…

更にやりっぱなしの奥の部屋。断裁の後が生々しいです。室生犀星の書籍や主役のはずの広辞苑が無残に転がっています

これを片付けるのか…これ以上ない疲れが倍増しました。

 

06/1/25 軽く勘定。

ミユル堂の写真展のために買ったもの。ライトビューワー、ルーペ、スキャナ等など。毎日広告賞のために買ったもの、原稿用紙、万年筆、A1のパネル等など。更に会社を休んでるので、小道具をそろえるために銀座の伊東屋に行くついでに松屋のミヒャエル・ゾーヴァ展に行ったり(ここで画集とポスターを買う)、毎日新聞社に行くついでに東京駅ステーションギャラリーの前川國男展に行ったり(ここでも図録を買ったり)

…この一週間で使ったレシートをあわせるとさ…軽く5万越えてるんだけど。バンバン下ろして、ガシガシ買ってる。何かが若干狂っているような気がする。

でもさ…デジカメ一つが7万も8万もするのにスキャナってあんなに高性能なのに15000で買えちゃうんでよね。世の中ってすごい。そんな訳でKanaの側には強力なスキャナとA3ノビまで印刷できるプリンター。強いて言うならば後は本体(windows Me)を変えるだけね(もう買い物はダメー)

 

06/1/21 ヒトラーの最期

先日BSで宣伝大臣のゲッベルスの日記を見たと書いたが、今日はたまたまヒトラーの最期という番組をやっていた。

先日の番組とは打って変わり、市街戦の恐怖を生々しく描いていた。ベルリンに迫りくるソビエト軍、連合軍の空襲で廃虚となるベルリン市街、食糧や水を失う市民。捕虜になるならと自殺してゆく家族。
そんな中総帥達は地下壕でゆうゆうと暮らしながらも徐々に押されてゆく戦況に狼狽し疲弊してゆく。ゆっくり迫る敗北を待ちながらも決して、総力戦を解除したりしない。最期の一人まで戦って死ね、と 最期まで言い続ける。ソビエト軍が総統府の地下壕まで1Km400m100mと徐々に近づいてくる。

そして、支配するべき国がなくなった時王は一人の人に戻り、愛人と結婚式をあげ、次の日には自殺してしまう。自分勝手のきわみ。

其処に国を治めるべきものの「責任」などないのだろう。独裁者…なのだ。
結局誰しもがが心に秘める狂気を、ヒトラーが体現し、敵を作り、戦争を起こし、そして国を滅ぼしたのだ。そして、ヒトラー自身は敵を滅ぼす為なら、国民が死ぬ事をなんとも思わなかったし、彼は孤独だったのだろう。そんな彼を国民は利用したのだろう。

戦争を利用して、国をまとめよう、純血種以外を排除しようという根本的な発想が狂っているのだろう。戦争を利用しているのだか、戦争に利用されているのだか、わからなくなってくる。

しかしヒトラーの台頭を許したのは、第一次世界大戦の敗北による、ドイツの困窮にあり、ドイツを困窮させたベルサイユ条約は、普仏戦争に敗れたフランスの復讐でもある。

敵国を仮定して、軍備を増強すること、それは相手国への不振と、相手国の軍備増強につながる。お互いに不信感を持ち軍備を増強させていった果てには何があるのだろう。第二次世界大戦はその結果だったように思えるし、その実が東西冷戦に引き継がれたように見受けられる。。

ワタクシタチが、ワタクシタチの街で銃を持って走り回らないために、街を火薬で瓦礫にしないための最善の方法は、やはり軍事力の放棄に他ならないと思っのです。銃も火薬もないところで火はおきないのである。

 

06/1/20 思い切って

 

思い切って今ライブドア株を買いあさるというのはどうでしょうか?

 

 

06/1/20 十字

6年位前に買ったBOYCOTTOのセーター。厚手で胸にペンキのような塗料で赤十字のマークのようなどっしりした十字が塗られているのが特徴。もうすっかりボロボロだけど、先日クリーニングから戻ってきて着てみようとしたら、クリーニング屋さんのタグに「胸のところのシミ落ちず」的なマークが…

もしやと思いセーターを広げてみると…ない。胸のはげかけたようなペンキの十字がな〜い。…うん。油絵の具使ってた時のシミってたしかこんな感じだもんね。シミだと思うよね。6年前のだしね。

それにしても…はげっちょろの十字のマークをよくココまで落としてくれた、とある意味関心し切りのKanaでありました。

 

06/1/20 ヨゼフ・ゲッベルス

BSで「ヨゼフ・ゲッベルス」の日記を読んでいる番組があった。ゲッベルスはナチスドイツの頃の宣伝大臣で。ヒトラーに演説の指導や身振りの方法。またプロパガンダやマスメディアをひとえに担った人物である。

日記の中でベネチア映画祭に赴いてイタリア映画を批判したり、ベネチアをモーターボートで移動したりする場面、ベルリンの市民が夏に川で水浴びをするシーンなどが流れ、戦争をしていた時代が、現代とほとんど同じだと感じさせられ不思議な気分になった。
またイタリア映画を批判しドイツ映画の宣伝と扇動の有効性とレベルの高さを語り、欧米の映画も批判していたが、チャーチルの書籍を評価し、チャーチル自身を尊敬に値する、と言っていることが、現代とこれまたなんら変わらない感覚なのだと(まるで企業の中間管理職の人の日記のようであった)。
そんな人たちが、徐々に戦争によって追い詰められてゆき、行き場を失い、妻と6人の子供と一緒に自殺してしまうのだから、言葉にならない。
自分が生み出し、扇動し、大きくなった力に、自分たちが飲まれ、振り回され、逃げ場を失う。

人が恐ろしい物なのか、人が生み出した力、が恐ろしい物なのか。

空襲のせいで瓦礫の山と重苦しい空気の流れるベルリンから、車でわずかばかりいくと、もう田舎で、そこはまるで戦争などないような、いつもと変わらない風景がどこまでも続いている。しかしそこから更に車を走らせて行くと、遠くから時々爆発の音が聞こえてくるようになる。前線が近づいているのだ。

前線に視察に行く際のそのような件が戦争のリアルさを伝えていて、自分の暮らしている街に照らし合わせてみると少し怖くなる。

遠い昔の人の話のようだけれども、文明も思考も現代人と変わらない。考えるまでもなく、今でも世界中で戦争は起こっているのであって、このゲッペルスの番組をみて平常心だから戦争は起こらない、とか狂気をはらんで戦争が起こるとか、そういうものではないのかもしれないと感じた。平常心の中でも戦争に進むにつれ、何かが抜け落ちてゆくのかもしれないし、。もともと別の方向に行くはずだった力が、何時の間にか戦争に差し替えられていたのかもしれない。

普通に学を持ち高い頭脳と観察力を備えた冷静に考えている人々が、政治とか社会の中の事業戦略の一環として「戦争」をもっている。それがなんとも不気味だった。演説に熱狂している市民達に向かって「敗北主義」や「総力戦」を叫ぶのはやっぱり狂気なのかもしれないけれども。

 

 

06/1/18 マスコミ

昨日のnikkiは寝ぼけて書いているので妙に尻すぼみです。今日も眠たいので尻すぼみになりそうですが…先日は多分

奇に動じないように自分の中に何でもいいカッコたる理論を持ちましょう。

…みたいな事を書きたかったのですが、残念ながらワタクシ自身に確固たる理論などありません。大きな声にはすぐ反応してしまう弱小モノです。だめじゃん!!

大きな声にすぐ反応してしまうのは、ワタクシタチの日常をや常識を左右するマスコミさんなんかもそうで、今日ふとテレビを見たら、ホリエモンが犯罪者扱いされていてびっくりしました。選挙にも出て時代の寵児のホリエモンが、何故か、どのチャンネルでも悪者です。(強制捜査に入ったのだから当然なのですが)。もともとマスコミの印象はよくなかったライブドアですが、今日は逆に他人行儀に犯罪者扱いです。
ただ、Kanaが少し思うのは、コレが話題のライブドアでなかったら、こんなに話題にもならないだろうし、今のタイミングで強制捜査に入ったのかしら?と若干思うのです。(たたけばほかにもいろいろ出てくるだろうからとりあえず入っとけみたいな気もする。)

今日はいろんなことがあった日で、宮崎勤被告の死刑確定もそう、阪神大震災から11年目でもあるし、奇しくもその日に耐震偽装の社長の証人喚問などもありました。なのにどれもあやふやで、ホリエモンに全部持っていかれてしまったようで。

日々流れるスピードの中で、マスコミは新しいことを見つけ、話題にし、ワタクシタチはそれに踊らされる。古い重要なことをどんどん忘れてゆく。
マスコミは被害者や被告の中に土足で踏み込んでいく。強い物にはへいこらしているのに弱い物には付け込んで行く。
マスコミは「真実を報道する義務がある」と声高に叫ぶがそれは違う。今のマスコミは視聴者の欲望を映す鏡なのだ。ワタクシタチの好奇心を満たす道具なのだ

たくさんあるニュースに情報にそして欲望に流されてはいけない。自分で解釈して噛み砕いて判断しなくてはいけない。 小さな判断は日常たくさん全ての場面に転がっているけれども、その積み重ねが自分を創るのだとおもうのです。「とりあえず」はやめて「コレが」って判断しましょう。

とりあえず、今年のKanaは「とりあえず」禁止です(すでにダメ!!)

※ほんとに支離滅裂なnikkiでゴメンナサイ。
今日はニュースで誰かが言っていた「ライブドア(のやり方)は市場の新しい手法を見出したのでしょうか?それとも市場を破壊したのでしょうか」というコメントが印象的でした。

 

 

06/1/17 理と奇

電車の中で、こばやしよりのりの「ワシズム」を読んでいるサラリーマンがいた。大昔「ゴーマニズム宣言」が話題になった頃、そんなに面白いのかと、ワクワクしながら読んだけれども、終始「敵」をつくり批判し自らを保身する態度が(まさに傲慢なのだが)理解できず、結局何故世間が騒ぐのかも理解できなかった。

最近以前に比べてどうも右翼的(というのが正しいのかわからない)な書籍や考え方が増えているような気がする。嫌韓論とか核武装(話は横道にそれるけど、武装したらしたで、どこの町に置きたいのかね。ヤッパリ東京なのかしら、諸外国からも絶好のターゲットにされるわね。)とかとか、靖国の正当化とか、

個人の主張ならいいけれども、それがカタチになる物、話題になる人は、やはり理(コトワリ)で進んでいただきたい。こばやしよりのりのことではない。ウチの首相の事である。靖国は個人の問題でいいけれども、お正月から靖国参拝は悪くないとか言ってたらそりゃ国際関係は悪化する。個人の心情はいかほどでもいいが、首相はヤッパリ国策でしょ?個人の感情に国を巻き込むなといいたい。

ナポレオンの頃から、ヒトラーの頃から、うちの首相からライブドアの社長まで、理よりも奇が勝ってきたのである。
「言ったもの勝ち」。声を荒げ高らかに叫んでいるのもが、輝いているように見えてしまうのである。

郵政民営化を実行した!!偉い首相だ!!

…でも本当に今やらなくてはいけないことは別にあったのです。

イラクは危険だ!!核開発しているに違いない!!戦争だ!!

…でも本当に核開発していたのはその隣の国だったのです。

理でなく奇を語っている人の特徴は
闇雲に叫んでいる事、同じことをステレオのように繰り返しています。でも人はそんな物に弱いのです。

かつてヒトラーは言いました。「嘘は100回つけば本当になる。」
名言です。

でも奇はやはりそれまでの物です。どんなに正論を謳っても、いつかひび入って砕け落ちる物なのです。建築偽装マンションのように、その会社の社長のように。

高らかに歌い上げる物に注意しましょう。
真のモノなら、タダあるだけで、決して自分を主張したりしませんから。

 

06/1/15 欲しいもの

今一番欲しいものは「ほぼ日手帳
会社の女の子が、自分の思ったことや絵を日々残しているのをみて、Kanaも真似したいと思い、それが手帳だったら楽だよな、と気付き、では毎日の欄があって自由度のたかい手帳を探していて行き着いた果てなのだけれども、ほぼ売り切れらしい。新宿のLOFTでは発見できなかった。そりは売れるよにゃ〜。

LOFTではたくさんの手帳が置いてあって、中には、奇策や奇襲的な物もちらほら見ました。例えば日本の有名な歌や俳句が入っている縦書きの手帳なども置いてあって、センスに感動しつつも、さすがに縦書きは無理だと思った。 後で、「何故縦書きが無理なのか」考えてみたのだけれども、きっと、自身がパソコンに毒されているからじゃないかしら?最近は封筒の宛名すら横書きしているわけで、縦書きは多分、 大学の卒論の原稿用紙以来したことがないような気がする。ほぼ日手帳が手に入らなかったら、思い切って冒険してみようかな(←さっきと言っていることが違う…)。

 

 

06/1/15 欲しいものその2

ついでだから欲しいものその2を…
セガトイズ発売の「HOMESTAR」 家庭用プラネタでピンホール式じゃなくて光学式なのだそうです。すごく欲しい。部屋を星空にして「いいよな〜」って一人で悦に浸りたい。

…でも「大人の化学マガジン9月号」のプラネタリウムはピンホール式だけど部屋全体を覆うんだよね。(HOMESTARの幅は天井投影くらい)値段も1/10くらいだし…

ついでだからほしいものその3…
銀座伊東屋で見つけたVESTAXのポータブルレコードプレーヤ(アナログ) レコードかっこいい…

ついでだからほしいものその4…
北斎漫画―初摺
フルカラーなんだけど、どうも甘い気がする、写真から起こしているのかしら…アイディアの宝庫ってことに間違いはないし、欲しい、と声高々に叫んでいるんだけど、どうも甘い気がする。12600円出すべきか出さざるべきか。最近最も悩んだものである事に違いはありませんが(未だ買っていませんが)値段は10倍するけどこっちが本物よね〜

Kanaさんってホント〜にどうでもいいものばかり欲しがるよね。

…ウン…Kanaもそう思う。

 

06/1/15 今確実に欲しいCD

エミリーシモン初回限定版

何故ドコニモナイノダ…

先日「皇帝ペンギン」をギンレイホールで見てからすっかり虜なのに。

先月来日していたのに(衝撃の事実)

うお〜ん、ウソ〜ン

Kanaの孤独な叫びは南極の荒野へと消えてゆくのであった。(皇帝ペンギンのサントラは買いました。)

エミリーシモン

仕方ない谷山浩子白と黒で我慢するか…(全然テイスト違うヤン!!)

 

06/1/13 涙二乗

その本を買ったのは、純粋にムスメのバーゲン待ちを潰す為です。有楽町駅前、交通会館の三省堂で行きずりの引ったくりのように衝動買いてしまいました。

リリーー・フランキー著 「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」

何故その時、その本を選んだのかKana自身若干謎なのですが、
少し前に、nukunukuさまが「東京タワー」を話題にしていた事と、
昨年末、田舎に帰った折、乗車率150%の新幹線でKanaとともに通路に立っていたおばさまが目頭を押さえながら読んでいた記憶が妙に残っていて、「何故リリー・フランキーで泣くのだろう?」という疑問がどこか心の中でくすぶっていたのではないでしょうか。あと、ベストセラーで平積みされていたのも大きいです。たまたますぐ手に取れる位置にあったので。

内容はお散歩の方を見ていただきたいのですが、

泣けます。半端なく泣けます。最初は通勤途中で読んでいたのですが、朝からとんでもなく涙が出るので、後半は部屋にこもってひとり、ちり紙で鼻を噛みながら読み明かしました。
この本は子供の目から見た、母親の生き様を見事に書ききっています。そしてそれを母親に捧げているのです。近年、こんなに素直でステキな小説も読んだ事がありません。

発売当初の東京タワーのカバーを見て「リリーフランキーの長編小説ってどうなの?」って思った自分が恥ずかしいのです。あの感覚のままいたら、きっと読もうとすら思わなかったのでしょう。あちこちにアンテナを張って常に自分の主観を修正していかなくてはいけないのでしょうね。

昨今のKanaは、そうでなくても狭い部屋が埋まる、という理由で本を買うことをなるべくやめていましたが、それはひょっとしたらものすごい機会損になっているのでないかい?と強く思わされました。

本棚を買って本を読む。Kana今年のやることが又一つ増えました。

お散歩「東京タワー」

 

 

06/1/12 夢

ひき逃げをする夢をみた。なるほど、逃げたくなる心理もわかる。誰かを轢いたという「現実」から逃げたいのだな。Kanaの場合は民家(木造2階建ての下宿チックな建物)の2階からバックでフェラーリ(すごい車に乗っています)がおちてどこかのおばさんが下敷きになるという、そんな夢であったよ。

あいかわらず、Kanaの明け方の夢は想像を絶していて、「地球人に迫害される異邦人(ワタクシ)たちが宇宙戦艦ヤマトに搭乗し地球人に報復をはじめる」とか「あれ、ワタクシ仕事の仕方をすっかり忘れていて、なんでこんなに腕が落ちているのかしら、そもそもシフト管理が←実は5年前に辞めた前職の職場の夢を見ている」とか…

いつも夢をメモしようメモしようと思い、たまに目が覚めてメモを残しても、朝になるとサッパリ意味が分からず(文字が踊って読めなかったり、何故面白いのかがわからなかったり)

夢だけではないけれども、ふと思ったことを毎日ちゃんとメモに残していけたら1年たてばそれは立派なアイディア帳になるのでは?そんなことをふと思いたち、Kana今年の目標はアイディア帳をつけるのだ、と心に決めたのでありました。

ひき逃げの話からきれいにまとめたね、などと突っ込まないでください。

 

06/1/12 暖かい日

格別に寒い冬の中に、ふと暖かい日があると、少しほっとします。

Kanaが育った岡山では、よく、冬の朝はアスファルトの上まで霜が降り、凍った土の脇で霜柱がぱきぱきと音を立てていました。今年の東京がどんなに寒くても、あの底冷えには到底及びません。東京で見たことのない霜柱。湿度が違うのかしら。それとも土が少ないので地表の水分の量が違うのかしら、と思いつつ。

今年の冬は、とても冬らしくてKanaは大好きです。夜半の張り詰めた空気にも、日中の風切る寒さにも、トキメキを覚えます。きっと春が来た時の嬉しさもいっそう大きいのだろうと思うと、ますます嬉しくなるのです。

 

06/1/10 針穴○式

KanaこのDMのデザインにやられました。深みのある黒のDMのど真ん中に穴が開いています。針の字の一部だけデザイン化されています。○の中の10はあるとくどいかなとも思いますが無いとキレイ過ぎるので、やはりあの位置で正しいのでしょう。上の方の空き具合も何もかもがKana好み。誰が作ったのかしら…惚れるわ。そんなわけで(どんなわけで?)

針穴写真展1月23日(月)〜2月18日までミユル堂にて開催です
Kanaも参加いたします。

 

 

06/1/12 さ〜て今回のKanaさんは?

へ〜Kanaさん針穴写真展に参加するんだ。

ええ、そうですよ。

へ〜…

…ナンデスカ?

Kanaさんの事だから、また「オレはプロじゃないから」とか言って脇道に逃げたりするんでしょ。

…ソンナコトハシマセンヨ…(汗)。

写真の本質がわからないとか言って写真以外に逃げたりするんでしょう。

…フ…フフ…

…Kanaさん?

(ここから逆切れ口調)ああ、そうさ、何度も出展したり撮影することのない針穴写真さ、オレは!オレは(この辺から芝居口調)!!針穴写真の常識に穴を空けてやるのさ!!!!

…今ちょっと「お…いまオレうまいコト言った」って思ったでしょう。

ギク…

常識を破ることができるものは基本を極めたものだけだと思うけどね。

ちょっと…まさかさっきのが今回のオチってことないでしょうね?

さて、ココで問題です。Kanaの言う「常識破り」のピンホールカメラって一体どんな写真を撮るつもりでしょうか?

…逃げたな。

答えは会場で!

宣伝かよ!!っていうかまだ写真撮ってないでしょうが!!(←オチ)

 

06/1/12 トリビアの泉総集編を見た。

トリビアの泉総集編を途中から見たのですが、放映できなかったトリビアが「ディズニーランドがある舞浜駅の名前の由来はマイアミ」…って一般常識だと思っていたのに。しかも放映できないほどの理由があるのかしら?

Kana的一般常識。浦安市は最初から遊園地を誘致する目的で海を埋め立て土地を作ったのです。そしてたまたまソコに現れたのがディズニーランドだったというわけ。…きっとアド街ック天国でもそのくらいの事は言っていると思うわ。

そんな訳で、伝説のトリビア
「一青窈の「もらい泣き」をスピードを落として聞くと平井建が歌っているように聞こえる」に感動し。

「アキバ系の男は実際絡まれている女の子を助けるか(助けたのは100人中67人でした)」に興奮し

「雑種のペットは主人が熊に襲われた時たすけるか(助けたのは100匹中3匹でした)」 に涙し

ああ、いい一日…ってまた何もせずに一日が終わろうとしている!!

 

06/1/10 故あって…

大昔紹介したphatphotoのピンホールカメラ(針穴写真)を組み立てて何も考えず24枚撮りで撮ってみた。

針穴写真というのは名前の通り針で開けたような小さな穴(Kanaのは0.13mm)からヒカリを取り込んでフィルムに感光させ写真を撮るというもの、幅広くピントが合うのは多分、目の悪い人が遠くを見るとき目を細めるのと同じようなものだと思っている。

二日間の突貫工事で制作。フィルムを巻き上げる軸が若干曲がったりしているけれども、後の祭。勢いで、生活の周りのものを撮ってみる。実はあまり期待もしていなかったのだけれども、驚いたことは露光不足などで現像できないものはなく(暗めのものはあるけれども)全て撮れていたこと。固定して撮っていたものはあまりないけれども、ぶれがひどくて見れないなんてこともなかった。

それにしてもフジのフィルムを使った所為か、いいお天気の所為か。ソラの蒼がことのほかウツクシイ。ボケ具合がなんとも気持ちいい。Kanaが思う以上にkanaらしい写真が撮れているようでなんだか嬉しくなる。

焦点距離が35mmフィルム換算で35mmとあるけれども、なんだかもう少し広角感じがしてKanaはうはうはなのです。

え?オチ?オチですか?今月後半にミユル堂で針穴写真展があるのですが、それ用の写真はまだちっとも手をつけてないってこt←また遅刻ですか!!

 

06/1/3 あけましておめでとうございます。

田舎から戻ってまいりました。…「まいりました」と打つたびにマイリーを思い出し「戦いの神よ!!」等とパブロフのイヌ的反応する人は世の中にはそういないとオモワレマス。(お正月のあいさつがこれですか…)

そんな訳で今月のトップ写真。Kana田舎で初日の出を撮ってまいりました。

時は1月1日の朝6:30。幼少の頃祖父(去年亡くなりました)に連れられて登った山への道を歩いてみたわけです。

朝も早いけれども件の天神様(リンク先は2002年の田舎の記録)にはお参りをするお年寄りの姿がちらほら。 その天神様の脇から山への道が…今もあるのかしら?

あったあったよ!古い記憶を頼りに裏山を登ります。歩く事10分。

山の上の風景。山の裏(表かしら?)には新興住宅地(といっても30年前の)、そして先に広大な笠岡湾埋立地が広がっています。

ここ数年天気が悪く、何年かぶりに初日の出が見れたと一緒に登ってきた地元のおじさんが言っていました。小さい町なのでKanaの祖父の事も覚えていらっしゃいました。そんな訳でココからこの景色を見たのはKanaとそのもう一人、山に上がってきたおじさん一人だけでKanaたちがいなくなったら誰もこの景色を知らなくなるのではないかしらと、少し思いました。

Kanaにとっては多分20年ぶりくらいのこの山での初日の出。当時一緒に登っていた祖父もいなくなり。色々なことを思い出した。お正月でした。

 

06/1/3 お正月田舎スナップ

親戚やら集まりなんとなく凧揚げでもしてみるの図

イトコ

太陽に向かう飛行機雲

朝の電線。

…さて、適当に色々なものを撮りまわっていたのですが。ノイズが多いような気がする…と先月から言っていたのですが、色々な写真を見て端と気がつく。このカメラはシャープネスが強いのだ。だからざらつき感や偽色が多いのではないかしら。

お正月からそんなことばっかり考えているKanaでした。

 

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