2002/8/13

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倉敷の事

倉敷は田んぼの町だ。駅の北には広大な田園風景が広がっていた。今では随分住宅地に変わってしまったけれども。


住んでいると気がつかないことだけれども、大概の大きな道には必ず、用水路が並行して走っている。逆に用水路に沿って昔からある農道が幹線の道になったのかもしれない。

川のない東京から、田舎に帰ると、その圧倒的な水の量に圧倒される。今回Kanaは倉敷の南の古い町並みよりも、北に広がる昔住んだ田園地帯を自転車に乗って駆け巡ってみました。Kanaが小学生の頃を過ごしたこの町も、発展と、寂れの間に揺れていました。

 

岡山の奴等は莫迦ばっかりだ、とKanaがいえるほどKanaは彼らを愛しているのだと思う。・・・っていうかついていけない奴等ばかし(笑)

とりあえず記念に写真を撮ろうかなと思ったら←このポーズですよ。昔から一緒にゴロゴロしていたから慣れてはいますね。はい。奥では奥様が一生懸命広告の今日のお買い得品のチラシを見ているというのに、こやつの(以下「M」と称する)台詞ときたら。「安いゲームは出ていないか?」ですよ。でも、なんだかんだいって立派な旦那になっていました。アンマリ変わっていなかったけれども。奥さんは何故かKanaの周りは憎たらしいほどにカワイイ奥さんばかりなのです。ウラヤマシ(笑)

夜昔の(中学校の頃とかの)おともだちと遊んだのですが、その時の「眉毛が痒い・・・大腸癌だったらどうしよう・・・」(素)は21世紀に残るギャグだとKanaは思いました。「科学忍者隊ハゲチャマン」の歌とか(べただなあ)

その日は夜通し遊んでMのお家で寝て朝から高校野球を見ながら語り。久しぶりの田舎の夏でした。

倉敷のお知り合いの方々に挨拶をして、ついでにそのまま自転車で小学校までMと出かけてみたりした。小学校は昔のままにソコにあり。なつかしく眺めているうちに急に大粒の雨が降ってきたので急いで道向かいの春日神社に非難して雨が上がるのを待っていたりした。

小学校、中学校時代のかつての友達の話を滝のような雨の下延々としていた。Mとは小学校5.6年生からの付き合いで倉敷で一番仲のよい友達なのだけれども・・・私が彼のことを何も知らなかったことをその時知った。知っているヒトの名前を端から出して言って、誰はどうしている、とか、最近会ったとか。そんな話を雨が去るまでしていた。

写真では見えないけれども滝のように雨は降り注いでいた。上の写真で微妙に屋根から落ちる雨粒が見えるかしら?岡山では久しぶりの雨だったらしい。

 

Kanaたっての希望で、倉敷駅を巡り古い商店街を巡った後、酒津(sakazu)にいってみた。酒津には一級河川高橋河からの水を引き込む巨大な引き込み池があり、ソコから5本の巨大な用水路が出てソレが四方に水を運び根を伸ばし倉敷を用水路だらけにしている。逆を言えば倉敷の全ての用水路はココから始まるのである。

子供の頃よく、Mや友達とココで遊んだのである。昔危険だから遊んではいけないと言われた用水路はすっかり、きれいに整備され、子供から大人まで遊びまくっていたのが悲しかった。

左の写真奥のアーチが用水の始まりの門、その向こうは巨大な池で池の向こうの土手の向こうが高橋河。

 

↓下の写真は上の写真の一番左の用水路が海のほうに向かって伸びて行く様。このままずっと行くと高橋河に並行して走ることになるんだけれども。子供の頃最もよく遊びに使った用水路。

→右の写真は上のアーチのある堤防からMを撮ったもの。雨上がりの空はひたすら青かった。

さっきの雨の名残が道沿いにあった。すっかり道も乾いているのに、ソコだけ滝のように水が落ち続けていた。途切れることなくひたすらに落ち続ける様がなんとも言えず、晴天とのアンバランスさが可笑しかった。

少しずつ、日差しが夕暮れに向かっていった。夏の午後3時ごろ

倉敷は紡績の町だ。クラレ(倉敷レーヨン)の研究所が山の上にある。昔は悪の秘密基地だと思っていた。そのくらい巨大で倉敷の北口からならどこからでも見える。山の上にただ一つ立つ姿は美しいけれどもなんだか異質でソレでいて生活になじんでいる。今風に言えばアンブレラの研究所みたいである(失礼)ほんとにいつか爆発するんではないかと子供の頃は思っていた。
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川沿いの道を帰る。

前をMが走っている。

なんだかロードムービーのように

二人で少年時代の記憶をたどって走った。

右の土手の向こうは高橋河。

水面は青い。

空も青い。

ゆっくりと夏が過ぎていく。

東京に帰る日が来た。

 

岡山へ向かう電車の中で空を撮った。すごく・・・青かった。
 

 

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